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「真理の証人とは、その一生涯、享楽とはどういうものであるかをついに知らなかった
人のことである。その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的
苦痛を深く味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、貧困のうちにあって、
卑しめられ、あざけられ、無視され、憎悪されて、真理のために証をする人のことで
ある。真理の証人とは、殉教者のことである」・・・・・・・・・・キルケゴール
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シモーヌ・ヴェイユの生涯は、「愛の狂気」に貫かれていると言って過言ではない。
彼女は多くの顔(哲学教師、工場の女工、従軍兵士)を持っていた。しかし、その
言動の根底にはこの世で虐げられている人々の不幸が、彼女の魂の奥深くまで
下り、その現実を直視し変革する義務を自覚していたことにある。彼女はどのよう
な社会的組織にも入ることを拒んだ。たとえその組織が社会の底辺に生きる人々
の味方であろうと、それが力を持つと容易に圧政者に変化することを感じ取ってい
たからである。彼女は社会的規範・道徳に対して何の疑問もなく自分自身を同化
させることを許さなかった。真理・絶対の光を追求し、その光が命じるままに行動
したのである。それ故、彼女の言動は多くの人々にとって理解出来ないものであ
り、自分の土台を揺るがせずにはおかないものであった。全くヴェイユは「火」そ
のものであり、近くに近づけば近づくほど、その人は火傷を覚悟しなければなら
ない。彼女の生涯は、その意味で「愛の狂気」の炎であり、キリストのあの自己
贈与の完全な姿に重力のごとく引き寄せられていったのである。・・・・・
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ある事象が神に発していることを示す公準は、真理を宣言し正義を愛するという能力
こそ喪失しないが、それらが狂気の性格のいっさいを現しているということである。
「超自然的認識」
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シモーヌ・ヴェイユは1909年パリに生まれたが、生まれつき体は丈夫ではなく血行障害の
に苦しむ。そしてヴェイユ、21歳のとき激しい頭痛が彼女を襲い、生涯に渡って彼女を苦し
めた。彼女の兄は後に世界的な数学者として知られたアンドレ・ヴェイユであり、少年の頃
からパスカルの才能に比較されるほどの天分の持ち主だった。彼女はその兄に対して、自
分が如何に凡庸であるかを思い知らされ、真剣に死ぬことを考えたが彼女はそれを超える。
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外的な成功を得られないことを残念に思っていたのではなく、本当に偉大な人間だけ
がはいることのできる、真理の住む超越的なこの王国に接近することがどうしてもで
きないということを、くやしく思っていたのでした。真理のない人生を生きるよりは死
ぬ方がよいと思っておりました。数ヶ月にわたる地獄のような心の苦しみを経たあと
で、突然、しかも永遠に、いかなる人間であれ、たとえその天賦の才能がほとんど無
にひとしい者であっても、もしその人間が真理を欲し、真理に達すべくたえず注意をこ
めて努力するならば、天才にだけ予約されているあの真理の王国にはいれるのだと
いう確信を抱いたのです。たとえ才能がないために、外見的にはこの素質が人の目
には見えないことがあっても、この人もまた、こうして一人の天才となるのです。・
「神を待ちのぞむ」
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彼女は思弁的な信仰を破棄する。まして真理が住む世界には思弁的な領域などどこにも
ないということを知っていた。「永遠に、いかなる人間であれ、たとえその天賦の才能がほ
とんど無にひとしい者であっても」その人には真理を見出す目を、生まれながらににして
持っているのである。多くの人はその真理を映す目が曇り、まるで夢の中を生きている、
のだとヴェイユは言う。ただヴェイユはどのような道を辿ればいいのかということについて
次のように語っている。そこには多くの宗教が持つ教義はない。それは一人一人の心に
或るものであって、自分自身の義務的な行為によってしか導き出されないものなのだ。
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苦痛や極度の疲労がこうじて、たましいの中にこれは果てしなく続くのではないかと
の感じが生じるまでになったとき、その果てしなさを素直に受け入れ、愛しつつ、そ
れをじっと見つめつづけるならば、人は、この世からもぎ離されて、永遠にいたる。
「重力と恩寵」
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卵が閉じこめている暗闇から真理の明るさの中に飛び出すにあたって、あなたはもはや
殻を突き破ればそれでよいのです。あなたはすでに、その殻をつっつきはじめています。
卵とはこの可視的世界です。ひよことは愛です。愛とは神御自身であり、最初は目に見
えない萌芽として、すべての人間の内奥に宿っています。殻が突き破られて、存在がそ
とに現れても、対象となるのはやはりこの世界なのです。・・・・・・・・・・・・・
ジョー・ブスケへの手紙より
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長く暗い夜を耐え忍んだヴェイユの磨かれた曇りのない心の鏡は、真理の光を自分の
の周囲へとはね返す。彼女が、あれほど社会の底辺に生きている人々に、同情というあ
る意味での自己安泰から発する防御反応を示すのではなく、彼らの存在そのものが、そ
のものの重さとなって彼女の心に映し出されたのである。この鏡の純度が高ければ高い
ほど、その人は他の人々の不幸に対して無関心でいられることは不可能に近いことで
はないだろうか。チベットの無名な賢者も宮澤賢治も次のように告白している。
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「あなたは幸せですか?」とわたしはたずねた。これに答えている間、涙が彼の頬を
伝い落ちた。「いや、幸せではない。純人間的な観点からすれば、わたしのような人
間は胸が張り裂けるほど孤独になることが多いものだ。わたしは人々を愛している
が、それでも彼らにしてあげられることがいかに小さいかがわかるのだ。深い悲しみ
がここにある。全世界が幸せになるまでわたしは幸せにはなれないのだ。その目標
に達するまでには長い苦難が、限りなく長い苦難が前途に横たわっているのだよ」
「チベット永遠の書」より
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「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸せはあり得ない」 ・・・宮澤賢治
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地球の表面を覆った不幸は、わたしの心に取り憑いて離れません。わたしは自分
の能力が駄目になってしまうほど打ちひしがれてしまいました。・・・・・
ヴェイユがモーリス・シューマンにあてた手紙より
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だからこそ、ヴェイユは高校の哲学教師になった後も、当時最も虐げられていた労働者
階級へ接近しその先頭に立って行動したのであり、現実との接触をはかるため女工
として働いたのである。体が弱く激しい頭痛に悩まされていたヴェイユにとって、この
女工として生きた時間は死ぬ程つらいものだった。そして彼女は労働者の屈辱さを身
を持って知ったのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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そのときわたしは、ローマ人たちがもっとも軽蔑した奴隷のひたいに押し
つけた焼きごてのような奴隷のしるしを、永久に受けとったのでした。そ
れ以後、わたしはつねに自分自身を奴隷とみなしてまいりました。・・
ペラン神父への手紙より
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疲労と病苦のどん底に加え、女工時代、及びスペインの戦場で味わった人間の悲惨
が、彼女を内面的なものへと向かせる。彼女はイタリアへと足を向ける。それは彼女
が最もひかれていたアッシジの聖フランシスコと出会う旅だったのである。この世の
あらゆる創られたものに対して、その内に宿る「美」「光」「生命」を聖フランシスコは、
心から感じることが出来た人だったのである。ヴェイユはサンタ・マリア・デリ・アンジェ
リの小礼拝堂にて、「ある力に逆らえず」、生まれて初めてひざまずく。そして次第に
キリストの十字架・受難が彼女の魂を生涯にわたって捕え尽くしていったのである。
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たましいはただ、神の方にむかって、生命のパンに飢えていると泣き叫ぶだけで
いい。一瞬のたえまもなく、疲れも知らずに、赤ん坊が泣き叫ぶように・・・。みじ
かくて終わりが定めなく、終わりが定めなくてみじかいこの地上での滞在のあい
だ、ただこのように叫ぶこと、そして無の中へと消えて行くこと、---それだけでい
いのではないか。それ以上何を求めることがあろう。・・・せめて、今から、死の瞬
間にいたるまで、わたしのたましいの中には、永遠の沈黙のうちにはてしなく叫ば
れるこの叫びのほかには、どんな言葉もなくなってしまえばいい。・・・・・・
「超自然的認識」
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自分が死ぬ前には、十字架にかけられて、「わが神よ、どうしてわたしをお見捨てにな
ったのですか」といわれたあのキリストと完全に同じ状態にされていたい。その特権を
うるためなら、わたしは天国と呼ばれるものは全部よろこんで捨て去ってしまおう。・
「超自然的認識」
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そして彼女の魂は死の瞬間まで、虐げられている人とともに歩むことを見つめ、その
輝きに満ちた彼女の魂の鏡は真理・絶対なるものの光を、この世界へと放った。彼女
は、その死の瞬間まで洗礼を受けることはなかったが、それは、いつも彼女の魂がこ
の世の悲惨・不幸と共にあるために、このようなある意味での「特権」を拒否したのだ。
山の頂きが真理の住家だとして、多くの異なった登山道があるとする。しかし、彼女の
登った道はそのどれでもない。彼女はいばらの道、だれも足を踏み入れたことのない
道を選んだのだ。そこには宗教という名前はない。ただ、彼女の歩いた道は真理の、
絶対の光に導かれたものであるということだ。そしてその光はわたしたち一人一人の
心の中の卵にひそみ、わたしたちはその殻を破っていかねばならない。最後に、この
偉大な魂がどのような世界を持っていたかを的確に表現したものを紹介しようと思う。
この中に出てくる無名の女性はアウシュヴィッツの収容所で、多くの人と共に焼却炉
で焼かれたが、この無名の魂は、ヴェイユの魂と共に真理の、絶対の光を、その懐に
抱いていて、迷いやすい光への道をまるで灯台のように永遠に照らし続けるだろう。
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DVD「Beavers」より
それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。「私をこんなひどい目に
遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に
言った。 「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされてい
ましたし、本当に真剣に精神的な望みを追っていなかったからですの。」その最
後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっち
の私のただ一つのお友達ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。
外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈ん
で外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつ
けた一本の緑の枝を見ることができた。「この樹とよくお話しますの。」と彼女は
言った。私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状
態で幻覚を起こしているだろうか?不思議に思って私は彼女に訊いた。「樹はあ
なたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか
?」 彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-
いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」V・フランクル著「夜と霧」みすず書房刊
次の関連項目も参照されたし
「魅せられたもの」1999.1.30 「未来を守る無名の戦士たち」
「魅せられたもの」1997.4/13 「シモーヌ・ヴェイユの言葉」
「心に響く言葉」1996.12/8
「ジョージ・ハーバート 愛 」