「愛されるより愛することを アッシジの聖フランシスコ」

フランシスコ会来日400周年出版

撮影 池利文 文 遠藤周作・加賀乙彦 編集 門脇佳吉 学研









Elio Ciol 写真「ASSISI」がアッシジの風の息吹を見事に捉えた写真集であるのに対し、この

写真集は、聖フランシスコと聖クララの魂の息吹を現代人の心の中へと吹き込んだ傑作写真

集である。



これは池利文の写真家としての技量と共に、その物事の本質に迫る感性に裏打ちされたもの

であるが故に、アッシジや聖フランシスコ、聖クララを収めた多くの写真集の中でも最高峰で

あることは間違いないであろう。しかし何故このような傑作写真集が生まれたか、それは同行

したカトリック司祭、門脇佳吉の存在なしには語れないだろう。本書のあとがきに次のように

書かれている。「私たちはコンベンツアル聖フランシスコ修道会の押川日本管区長の親切な

仲介によって、アッシジのサン・フランシスコ大修道院に宿泊し、20日間もフランシスコ会修道士

と共に生活することができた。図版3でわかるように大修道院は壮大な建物の建造物だが、

その中での修道士たちの生活は、質素で単純そのものであった。私たちは修道士たちと全く

同じ生活をした。小さな独房に住み、同じ大食堂で食事をいただき、いっしょに祈り、ミサに

与りながら、聖フランシスコの精神を身をもって体験することができた。」




このような環境の下で生活したが故に、この写真集に崇高な視点が宿っていくことになったの

だろうと感じずにはいられなかった。

(K.K)





太陽の賛歌・・・苦悩の絶頂の中で歌われた歓喜の賛美歌・・・

(本書 「聖フランシスコの魅力の秘密 その風貌と思想」 門脇佳吉(カトリック司祭) より抜粋引用)


フランシスコの「太陽の賛歌」は有名である。だがこの賛歌がどんな状況の中で歌われたのかは

あまり知られていない。実に、この賛歌は聖フランシスコが死ぬ少し前、肉体的苦痛と精神的苦悩

の絶頂の中にあるとき、聖人の口から迸り出た讃美歌だった。


1224年9月14日ラ・ヴェルナ山で聖フランシスコは十字架のイエスと同じように5つの聖痕を受けた。

両手・両足の真ん中の4つの傷と脇腹の傷からは血が流れ出た。聖人は苦痛を外に表さなかった

が、5つの傷は猛烈に痛かったに違いない。しかし、聖人は十字架上のイエスと同じ苦痛を共にする

ことを喜んでいた。そのうえ、晩年のフランシスコは重い眼病にかかり、非常に痛んだだけでなく、

ほとんど失明しかけていた。そんなとき、医者にかかる代わりに、サン・ダミアーノに引きこもった。

聖クララは修道院のそばに葦の小屋を造らせ、そこにフランシスコを住まわせた。1225年の夏、イタ

リアの太陽は目もくらむように輝いていたので、聖人の目はますます悪くなった。小屋の藁壁に巣を

作っていた野ねずみたちが、横になっているフランシスコの上を走り回り、フランシスコは昼も夜も

休まるときがなかった。


この肉体的苦痛に加えて、精神的苦悩はよりいっそう耐え難きものだった。なぜなら、自分の創立

した修道会の会員が数千人にふくれ上がるにつれて、修道精神は弛緩し、とりわけ清貧の精神は

守られなくなったからである。聖フランシスコが自ら実践し、全員に書き残した会則は次のように伝

える。「巡礼者のように、外国人のように、いとも貴い清貧の、失うことのない宝のなかには、この

地上では何一つもせずに、この世の中を遍歴して行く」(第6章)。聖霊の息吹に動かされて、聖フラ

ンシスコと初期の弟子たちはこの会則を文字通り実践し、天上的な喜びに満たされて、イエスのよ

うに福音を人々に宣べ知らせ、天にまします御父の国へと巡礼したのである。しかし、会員が多くな

るにつれて、会員を養成するために神学校が必要になり、学者の教授陣や図書館がどうしても必要

になる。そうなれば、石づくりの建築が建てられることになる。そこから、会則が教える思想は現実に

は守られなくなる。「この地上では何一つもたずに」生きるという理念は、聖フランシスコが最も愛し、

自ら実践した理想であった。しかし、凡人であった多くのフランシスコ会員にとっては現実的に守るこ

とができなかった。聖フランシスコの目指した理想が実に高邁で天上的であればあるほど、生身の

凡人には現実的じ実行できなかった。この現実を見て、聖フランシスコはただ悲しんだだけでなく、

精神的に非常に苦悩した。なぜなら、この貴婦人なる清貧に仕えて、「この地上では何一つもたずに」

生きることは、自分が考えだした理想ではなく、主イエスが実践し、教えた「喜びの音便」の中心的

メッセージであったからである。


このような悲惨な状況の中で、盲目の暗闇のさ中に、野ねずみに悩まされながら、宗教文学最高の

傑作「太陽の賛歌」は作られたのである。この賛歌を理解するためにはどうしても上述した聖フランシ

スコの自然感覚、小鳥・鷹・蝉・火などに対する共感能力を理解するだけでは不充分である。この賛歌

がほとばしり出てくる深い源を探らなければならない。この源は聖フランシスコの深い神体験である。し

かも、この神体験は聖書に基づくものであり、キリスト教の根本思想を全身体で味わった体験である。


聖フランシスコの神体験ほど聖書的なものはない。ユダヤ教の会堂からキリスト教会へと伝えられた

賛歌、ダニエル2章57-67、70-78、56と詩篇148は「太陽の賛歌」と同じ精神で太陽や月や星などに神

への賛美を呼びかけている。ダニエルからその一部を引用しよう。


主のすべてのわざよ、主を賛美せよ。代々にたたえよ。

すべての天よ、主を賛美せよ。主をほめ、代々にたたえよ。

主の天使たちよ、主を賛美せよ。主をほめ、代々にたたえよ。

太陽と月、主を賛美せよ。主をほめ、代々にたたえよ。

天の星よ、主を賛美せよ。主をほめ、代々にたたえよ。


聖フランシスコの賛歌と旧約聖書のそれと一つだけ違った点がある。それは聖フランシスコが太陽・

風・火を兄弟と呼び、水・月・星を姉妹と呼び、大地を「われらの母」と呼んでいることである。この相違

は後に明らかになるだろう。聖フランシスコの神体験はキリスト教の中心的理解に基づく。使徒信経の

第一条はいう。「天地の創造主・全能の神である父を信じます」。聖フランシスコは信経を頭で理解し

ただけではなかった。聖人は大自然の中で瞑想し、神が天地万物の創造者であることを全身心で体験

したのである。この神体験によって、天地にあるすべてのものは同じ父なる神から生まれた兄弟であ

り、姉妹であり、母であることを体験したのである。聖フランシスコがこのような神体験をすることができ

たのは、神の恵みによることはいうまでもないが、フランシスコの身心にこの恵みを受ける準備態勢が

あったのだろう。なぜなら、トマス・アクイナスが言うように、「恩寵は自然を前提とし、自然を完成する」

からである。フランシスコの身心には「母なる大地」に対する感覚があったことは、「太陽の賛歌」の中で

大地を「姉妹にしてわれらの大地」と呼びかけていることからも明らかである。「母なる大地」の感覚は

古代人の宗教感覚であることは、現代の宗教民族学が明らかにしたところである。フランシスコが生ま

れ育ったウンブリア地方には古い宗教性が残っている土地柄である。アッシジにはエトルスコ文化(紀元

前10世紀から前2世紀まで栄えた)の遺構があるからエトルスコ宗教性の影響が考えられるかもしれない。


この関連で「太陽の賛歌」には注目すべき点がもう一つある。使徒信経とは違って、この賛歌の中で神を

「父なる神」と呼ばれていないことである。そのかわりに恵み深い「全善の主」と呼びかけられている。その

うえ、「賛歌」全体に流れる主旋律は、神が如何に慈しみ深く、恵み豊かな方であるかである。母なる神とは

明言されていないが、フランシスコにとって神は母的な性格をもたれた方なのである。この神の母的性格

は旧約聖書に基づくもので(申命記1の31。拙稿『一神教と多神教』参照)、この点でも聖フランシスコの霊性

は聖書的である。神が母のように慈しみ深いという宗教性は古代日本人にとって馴染み深いものであった。

豊穣な自然に恵まれた瑞穂の国に住んできた日本人にとって神は抱擁的な母なる神である。この観点から

も聖フランシスコが日本人に愛される理由がうなずけるのである。


この古代人の宗教感覚は神の恩寵によって高められ、完成されていることも見逃してはならない。「母なる

大地」が天地万物の創造主を賛美するように呼びかけられているからである。大地は植物・動物・人間を

生み出す「母」であるが、神によって創られたものであり、神を賛美すべきものである。そのうえ、古代人の

宗教感覚にはないものがもう一つある。太陽;・月・星があたかも人格をもっているかのごとく「呼びかけら

れている」ことがそれである。「小鳥への説教」の項ですでにみたように、聖フランシスコは小鳥も自分の

説教を理解し、応答する能力をもっていることを体験的に知っていた。この体験はこの「太陽の賛歌」では

生き物のみでなく、無生物である太陽や月や星や火までも押し広げられ、これらの無生物を応答能力を

もったものとして呼びかけられている。前項「小鳥に説教した聖フランシスコの姿」で述べておいたように、

眼病の治療のときの「兄弟なる火」が聖人の呼びかけに答えて、その熱さと肉の痛みを感じさせてくれな

かったことがあった。この体験が「太陽の賛歌」を生み出す原動力になった。感覚器官を備えていない無

機物である火さえも自分の願いを聞き入れてくれたのだから、聖フランシスコは「兄弟なる火」と呼びかけ

ざるをえなかったことはまちがいない。


ところで、聖フランシスコのように自然と共に神を賛美することは聖書の伝統にもかかわらず、西洋で発達

したキリスト教ではあまり実践されることはなかった。ロヨラの聖イグナチオのように、天地万物のなかに神

が内在し、働いているのを観た人はカトリック教会の宗教伝統の中に多く発見することができる。しかし、

太陽に兄弟と呼びかけ、いっしょに神を賛美した人は多くはいない。これはどうしたというのだろうか。それは

西洋キリスト教はギリシャ文化の知性・意思中心主義の影響を受け、身体性を忘却し、身体の中に眠って

いる古代的宗教性を殺してしまったからではないかと私は思う。身体性の忘却については拙著『道の形而

上学』(岩波書店)で詳述しておいたが、古代的宗教性については別所で詳しく論究するつもりなので、この

点に付いてはここではこれ以上述べないことにする。


この関連で一つ希望を述べておきたい。日本人の身体や深層心理には縄文・弥生文化に由来する古代

的宗教性が色濃く残っているから、日本人には聖フランシスコの神体験を追体験することが容易であり、

将来日本人の中から聖フランシスコのような「太陽の賛歌」を歌える詩人が生まれてくることを私は強く

希望している。日本の深い宗教伝統を考え、角田博士の右脳優位説からいっても、この希望はいつか

実現するだろうと思う。


さて「太陽の賛歌」は、上述したように苦悩の絶頂の中から生まれた。しかし、詩が生まれるためには、

精神的な高揚が必要であるので、苦悩の絶頂がどうして精神的高揚をもたらしえたのだろうか。その答え

は聖フランシスコの宗教体験の中にある。聖フランシスコは、サン・ダミアーノの小屋で苦悩し、ほとんど

盲目になった眼の痛みを忍びがたくなって、叫んだ。「主よ、どうか私をお助けください。この病気に耐え

られますように」。すると不思議な声がフランシスコの心の奥底に響いてきた。「フランシスコよ、お前は

どう思うか、言いなさい。もし誰かが、お前が今受けている苦しみのために、全世界でさえそれに比べれ

ば見劣りするほどの立派な天上の宝物を贈ってくれるとするならば、お前は大いに喜ばないだろうか?」

フランシスコはすぐさま答えた。「その通りです」。すると、不思議な声は続けた。「それなら喜びなさい。

フランシスコよ。お前は病気で弱っている間に歌いなさい。なぜなら天国はお前のものだからです!」


翌朝早く起きたフランシスコは兄弟たちにいった。「皇帝が全ローマ帝国をわたしにくださると知ったら、

私は大いに喜ばなければならないでしょう。ところがどうでしょう。主は私がこの世にいる間に、天国を私

に約束されたのです。ですから、私にふさわしいことは、この闇のうちに私は喜び、父と子と聖霊である神

に感謝を捧げることです。そのため私はその御方の栄誉のため、私たちの慰めのため、隣人たちの教化

のために、新しい賛歌を主の被造物について作ろうと思います。」(ヨルゲンセン著『アッシジの聖フラン

シスコ』佐藤要一訳、ドン・ボスコ社469-470頁)


 
 


本書 「あとがき」 門脇佳吉 池利文 より引用


本書の題名「愛されるより愛することを」は、アッシジの聖フランシスコの『平和の祈り』の一節である。

この言葉には、聖フランシスコの、人類に向けられた熱い想いがこめられている。現代の日本人は愛

されることを求めて、かえって欲求不満におちいり、不幸になっている。他人から愛されることより隣人

を愛することによって、隣人を幸福にし、自分も幸福となり、それによって、家庭に、社会に、国際関係

に、平和をもたらすことができる・・・・これが、私たちに対する聖フランシスコのメッセージであるように

思う。


私たちが聖フランシスコ巡礼のためアッシジを訪れたのは、1991年春、ウンブリアの平野にアーモンド

の白い花が甘い香りを放ちながら、咲き誇っていたころであった。この美しい大自然が聖フランシスコ

を育んでくれたのだと思うと、どこからともなく「太陽の賛歌」が響いてきて、私たちの心に木霊するよう

に思えた。


私たちは、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の押川日本管区長の親切な仲介によって、アッシジの

サン・フランシスコ大修道院に宿泊し、20日間もフランシスコ会修道士と共に生活することができた。図版

3でわかるように大修道院は壮大な規模の建物だが、その中での修道士たちの生活は、質素で単純な

のであった。


私たちは修道士たちと全く同じ生活をした。小さな独房に住み、同じ大食堂で食事をいただき、いっしょに

祈り、ミサに与りながら、聖フランシスコの精神を身をもって体験することができた。この体験を土台にすえ

て、私たちは聖フランシスコの足跡を辿った。


まず若き日のフランシスコが住んだ生家を訪ねた。アッシジの町は、イタリアの中でも中世の面影を色濃く

残した美しい都市である。生家の近くにはコムーネ広場があり、そこにゲーテが絶賛したミネルヴァの神殿

(紀元1世紀、今は教会になっている)、人民の塔、市長官邸がフランシスコが生きていたときと全く同じ佇ま

いで立っていた。その一つ一つの前にたたずみ、若きフランシスコのありし日を想った。


次にアッシジの近郊に足をのばし、回心してからのフランシスコのゆかりの地を探索してまわった。サン・

ダミアーノ、ポルチウンクラ、リヴォ・トルト、カルチェリ・・・・その一つ一つが聖フランシスコの面影を生き

生きと伝えていた。そしてことに、サン・ダミアーノ修道院の聖クララの部屋から、聖フランシスコが祈りの

ため篭った森のカルチェリを遠望したときには、ふと聖クララの深い思いに触れた。


しだいに巡礼の輪を広げて、ラ・ヴェルナ山、マッジォーレ湖と訪ねるうちに、聖人の好んだ場所に共通

な点があることを発見した。人里離れた、静寂な、大自然に囲まれた、沈黙のうちに神と深い交わりの

できるところであることだ。私たちはその一つ一つの場所で、静かにすわり、長い間沈黙し、祈り、聖人

を偲んだ。私たちの聖フランシスコの足跡を辿る旅は、真の意味で巡礼の旅だった。この写真集に、類書

にみられない宗教性があるとすれば、それは、私たちのこのような巡礼の賜物であるのかもしれない。


終わりに、私たちの巡礼の旅に協力の手をさしのべられた方々に、深く感謝する次第である。





2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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