「ジョットという名の少年 羊がかなえてくれた夢」

パオロ・グアルニエーリ 文 ビンバ・ランドマン 絵

せきぐち ともこ 訳 石鍋真澄 解説

第6回 日本絵本賞 翻訳絵本賞

西村書店









「ルネサンス時空の旅人『聖なる都アッシジ物語』 [DVD]」で詳しくジョットの生涯が紹介

されているが、この絵本はジョットが羊の番をしながら羊の絵を描いているとき、当時

有名な画家であったチマブーエにその才能を見い出された逸話「羊の伝説」をしたもの

です。中世の空気の匂いを独特のタッチで表現した絵、そして文はジョットがチマブーエ

や絵と出会い、新たな旅に旅立つ模様を描いています。ジョットはサン・フランチェス聖

堂の壁画や、彼自身の最高傑作とも言える透き通った天空に引き込まれそうになる

パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画を描いた人で、ルネサンスを語る上でなくては

人です。

(K.K)






ジョットについて 石鍋真澄(成城大学教授) 本書より引用


ジョットは今から700年くらい前に活躍したイタリアの画家です。レオナルド・ダ・ヴィンチ

やミケランジェロを生んだ、新しい運動を「ルネサンス」といいますが、ジョットはその出

発点にたつ画家だと考えられています。ジョットは聖書や聖人の話を、だれにでもわか

るように、生き生きとえがきました。彼の絵を見る人は、聖書の物語がまるで自分たち

のすぐそばで起こった出来事のように感じることができたのです。ジョットはフィレンツェ

の近くの、ムジェッロといういなかの村で生まれました。父親はボンドーネという農夫で

した。そして、当時フィレンツェでもっともすぐれた画家だったチマブーエのもとで修行し

たと考えられています。


ジョットはたちまち才能をはっきして、たくさんの注文をうけるようになりました。フィレンツェ

だけでなく、ローマやアッシジ、パドヴァなどイタリア各地で、たくさんの絵をかきました。多く

の弟子をかかえて、イタリアでいちばん注文の多い絵かきの会社を経営していたと考えれ

ばいいでしょう。お話のなかにでてくるフレスコ画とは、顔料の粉を水にとかし、壁の漆喰が

まだかわかないうちにぬっていく画法です。水にとかした顔料が漆喰とともに固まり、絵は壁

の一部となるわけです。「フレスコ」とはイタリア語で「新鮮な」という意味です。かわかない、

生のうちにえがいていくこの画法をそう呼んだのでした。


彼の作品のなかでも、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁画やパドヴァのスクロヴェーニ

礼拝堂の壁画は、イタリアでももっともすばらしい絵画として有名です。1337年に死んだとき(た

ぶん70才で)には、町をあげての葬儀が行われました。ジョットはフィレンツェが生んだ偉大な

画家として尊敬されていたのです。ジョットが世を去って100年以上たった1450年ごろ、ギベルティ

という彫刻家が、彼の話をかき残しています。少年ジョットが羊の番をしながら、だれに習うこと

もなく羊の絵をかいていると、画家チマブーエが通りかかり、その才能におどろいて、弟子にした

というのです。天才ジョットの少年時代の話はとても有名になり、ずっと語りつがれました。この

絵本の物語も、この「羊の伝説」がもとになっています。


 




2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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