「ネイティブ・マインド」

アメリカ・インディアンの目で世界を見る

北山耕平著 地湧社 より

北山耕平さんのホームページ「Native Heart」


 




日本人の手によって書かれた好著。メディスンマンであるローリング・サンダーとの

出会いからインディアンに深くひきつけられた著者が、彼らの生き方を再びこの

地球に甦らせるための方法を探る。特に大人になるための儀式「ヴィジョン・クエ

スト」と呼ばれるものを詳しく紹介し、その実践方法を説く。著者はインディアンに

に関する文献を多数翻訳し日本に紹介しているが、代表的なものに「ローリング・

サンダー」「レイム・ディア(インディアン魂)」「シャイアン・インディアン 祈り」

「虹の戦士」がある。本書は私たち日本人にとって、これらのインディアンの精神

文化を理解する上で欠かせない文献のひとつに数えられるに違いない。

(K.K)


 




本書エピローグ 「風の道の上で」ネイティブの目で世界を見ること より引用


私はその力に導かれて日本の中を旅してきた。それは自分の内側への旅だったと

いっていい。血と霊の流れのなかにかろうじて残されていた古い祖先の歩いた道を

探して、私はこれまで旅をしてきた。・・・偉大なる曾祖父よ! まったく新しい世界

の見方で自分の生れた国を見ることは、なんと信じられない発見の連続だったで

しょう。いかなる歴史を経て私たちのこの島々でモンゴロイドとしての生き方が、

海を越えてきた開拓者たち(日本建国の父たち)によって歪められ、時間をかけて

根こそぎ変質させられていったかを。なぜ私たちが生れた時から自由であることを

半ば諦めたような、まるで「奴隷」のような生き方をよしとするに至ったのかを。世界

に類を見ない複雑で強固な差別の構造と、裏と表の二つでひとつの多重な世界観

を持たざるをえなかったわけを。ありとあらゆる「聖なるもの」が開拓者と共に海を

越えてきた「宗教」によってことさらにおとしめられていくプロセスを、今では私は

ありありと想い描くことができる。そして今自分のなかを流れる血が、そしてそこを

吹き渡る風が、太古より、つまりこの列島が日本と呼ばれ、そこに住む人たちが

ひとからげにされて日本人と呼ばれるようになる以前から、脈々と伝えられてきた

ものであるとの確信に私は至っている。「文字」によって口伝えの歴史を奪われて

しまった彼らはいったい誰なのだろうか? なぜこの国の歴史から彼らが消されて

しまったのか? 心のなかから太陽を奪われて闇の世界に押し込められてしまっ

たのはどうしてか? 私の記憶をどこまでも溯ることによって、私は私の人人のこ

とをもっとよく知ることができるような気がしている。私がネイティブ・アメリカン・

ピープルの世界に求めたものは、自分が地球のはじまりからここにいたという

確信であった。彼らもまた海を越えてやってきた開拓者たちとその子孫によって

太陽を奪われた者たちであった。しかし、彼らは暗闇のなかを道を選んで歩くため

の明かりまでも失っていなかったのである。それは電気にはない、なんとも神秘的

な優しい明かりだった。そのおぼろげな明かりの照らしだす彼らの道が、私の偉大

なる祖先たちの歩いた道であったことを私は深く信ずるものである。一人のモンゴ

ロイドとしての私は、偉大なる祖先の歩いた昔の道をどうしてもはじめに溯って確認

する必要があったのだ。どこから来て、どこにいて、なにをやっていて、これから

どうなるのか。最初の風がどこに吹いていたのかを、私は知りたかった。そのた

めにはどうしてもネイティブ・モンゴロイドの目で今一度世界を眺めてみなくては

ならない。人が違った見方で世界を、歴史を見るということはまた、それまでとは

違った考え方を持つことであり、それはとりもなおさずまったく違った存在の仕方

で今ここにいるということを確認することであるからだ。その結果、今私はここに

いる。    偉大なる曾祖父よ!    私は生きていきます!


 
 


目次

プロローグ インディアンは嘘をつかない

第一部 砂漠への旅・・・・いかにして私はアメリカの大地の歌を聴くようになったか

1 すべては何もないところからはじまる

2 特別な日に特別な場所で

3 メディスンマンとの出会い

4 ローリング・サンダーの教え


第二部 風の道・・・・アメリカ・インディアンの聖なる教えをたどる

第一章 ネイティブ・ピープルの宗教の定義

第二章 聖なるものについての考え方

T 神秘・・・・見えざる力についての知恵、あるいはその力に対する信仰

U・・・・・円環・・・・一切のものは相互依存の関係にあるということ

V 祈り・・・・信仰心に基づき何かを畏れ敬うことで、人間は生命の源に近づくということ

W 伝達者・・・・儀式をとりおこなう者、および彼らはいかにしてその聖なる知識を伝えてきたか

X 生存・・・・生命を守るための道徳と倫理

Y 笑い・・・・ユーモアもまた聖なるものの一部であるということ

〈補〉 彼らは物語のなかでなにを伝えようとしてきたか?・・・・世界のはじまりと宇宙の中心

第三章 シャーマニズム、あるいはたくさんのスピリットの住む世界


第三部 再生・・・・モンゴロイドはアメリカ・インディアンの夢を見るか

第一章 ヴィジョン・クエスト 準備編

1 子供が大人になる時

2 だから「通過儀礼」は欠かせない

3 モンゴロイドはアメリカ・インディアンの夢を見るか

4 ヴィジョン・クエスト

神話的レベルにおける「ヴィジョン・クエスト」

実際的レベルにおける「ヴィジョン・クエスト」

第二章 ヴィジョン・クエスト 実践編

第一段階 独りになる

1 独りになるための準備

2 両親や友人に告げる

3 子供の自分にさよならを

4 自分のための儀式の用意

5 装備

6 自然についての知識

7 危険の認識

8 身体を鍛える

9 メディスン・ウォーク

第二段階 境界を超える

1 地球の上に自分の場所を見つける

2 ストーンパイル

3 境界を超える

4 断食

5 自分自身に名前をつける

6 内なる声を聴く

7 夢見

8 火

9 輪の意味するもの

10 自分で新たに生まれなおす

第三段階 帰還

1 家に帰る

@ 仲間に会う

A みんなに与える

B 食べることを考える

C 聖なる山に別れを告げる

D 聖なる世界の埃を洗い流す

E 自動車に乗り込む

F ビルに入り、見知らぬ人と逢い、物を買い、食事する

G 家

H 再び仲間と集う

I 自らの力の場所を再訪する

2 前にどこまでも続く細い道

◎ 境界線の向こうから、故あって早目に帰還した人たちのための大切な覚書

エピローグ 風の道の上で・・・・ネイティブの目で世界を見ること


わが心の環太平洋トライバル・マップ(部族地図)

あとがき

引用文献一覧


 


2012年4月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



ダウン症の女流書家【金澤翔子】の活動とパソコン教室日記 より引用



「ことだま」 金澤翔子さん・書 写真は他のサイトより引用



「ことだま」という言葉の響きにずっとひかれていた。



言葉というものは体の中から外の世界へ吹きだされる風、その風に乗ってつむぎだされていく。



昔の人はこの言葉に霊力があると感じてたが、そのように捉える感性を私は忘れてしまってい

るように感じる。



言葉に霊力があるから、決して嘘をついてはいけない。



これはアイヌインディアン世界の先住民族に共通する捉え方だったように思う。



しかし、私から吐き出される言葉から嘘が時どき出てしまう。



相手のことを考えた「いい嘘」もあれば、そうでない「わるい嘘」もある。



金澤翔子さんが書いた「言霊」に接すると、本来の言葉のもつ霊力を感じ、立ち戻らなければ

と感じてしまう。



(K.K)



 



APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)



 

2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆




(K.K)









アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

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