
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
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「写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと」明石書店より引用
1939年、ダライ・ラマがまだ4歳のときに、ラサの僧院からやってきた高僧が、かれを 慈悲深きブッダの生まれ変わりと認定した。子どものうちにかれは600万人のチベット の民の精神・現世両面での指導者、第14世ダライ・ラマとして即位した。年月を経て、 かれはチベット文化と国土回復の闘いを象徴する存在になった。しかしそれ以上に、 ダライ・ラマは人間性を取り戻そうとする世界のすべての人びとの闘いの代弁者となっ た。「わたしの信仰は素朴なものだ。それは慈しみである」とダライ・ラマはかつて語っ た。「愛と正義と平等の世界の創造は、わたしたち自身の利益につながる。道徳観に 基づく普遍的な責任感を持たなければ、わたしたちの存在と生存は危機にさらされる ことになるからだ。現在、世界は多くの争いに苦しんでいる。その解決方法は技術的 でも政治的でもなく、精神的なものだ。わたしたちが等しく抱える状況を、どれだけ理解 できるかである・・・・・・・わたしたちの知る地球上の平和と生命の存続は、博愛主義的 な価値への責任感を欠く人間の活動によって脅かされている。自然環境や天然資源 の破壊は、無知と強欲、地球上の生きとし生けるものへの配慮の欠如がもたらす結果 である。そうした欠如は、地球上にいる人類の子孫へと広がる・・・・・・・もし世界平和が 実現せず、このままのペースで自然破壊が進んだとしたら、未来の世代は荒廃しきっ た惑星を受け継ぐことになるだろう」。
中国による侵略以来、チベットの森林の40%以上が切り倒され、その結果大規模な土砂 崩れが起きて、揚子江やインダス川に泥土が流れ込んだ。放射性物質や有毒廃棄物の 投棄はチベット高原のあちこちを汚染し、すでに遊牧民や家畜、野生動物に先天性の障 害が発生している。侵略前、チベットには多くの野生動物がいたが、1990年までにジャ イアント・パンダ、雪ヒョウ、オグロヅルを含む30種が絶滅の危機にあるとリストアップさ れた。多数の報告が、中国軍が自動小銃などを使って野生のヤクやロバの群れを一掃 している事実を浮かび上がらせている。「わたしたちは野生動物を自由の象徴と見なし てきた」とダライ・ラマは言う。「何者にも束縛されず、自由に走り回る。それらがいないと、 どんなに美しい風景も何か物足りない。その土地はただ空っぽになってしまい、野生動物 の姿があってこそ風景は完全な美しさを取り戻す。自然と野生動物は互いに補完し合って いるのである。そうした関係が損なわなければ、人間も環境に調和できる。チベットには まだ調和が残されている。それに、かつてそんな調和があったことを知ればこそ、わたし たちは将来に心からの希望をもてる。その気になれば、すべてを再び取り戻すことがで きるのだ」。一見して困難な展望にかかわらず、希望と確信をもち続けるには、深い信仰 が必要になる。ダライ・ラマは語る。「わたしは生涯で、他民族による余りに多くの迫害や 殺害を見てきた。そこから人間の価値や真実を悲観してしまうのは簡単だろうが、大切な のは信頼と楽観の精神だ。侵略以来40年のわたしたちの経験を振り返ると、チベットの 親しい友人たちが悲しく諦めた様子で“チベットは消えた”と表現したのを思い出す。希望 はなかった。だが今日わたしたちは、チベットが死んではいないことを知っている。チベット は焦土と廃虚からゆっくりと立ち上がっているではないか」。
ダライ・ラマは将来の展望として、「チベットはもはや武力で抑圧され、受難におびえる不毛 な占領地に甘んじる必要はない。人類と自然が調和のうちに共存する自由の楽園、世界各地 を悩ませる緊張関係を解決する、創造的な手本となり得るのだ」と語っている。1989年、ノー ベル賞委員会はダライ・ラマにノーベル平和賞を贈り、チベットの政治的・精神的リーダーとし て認めるとともに、「生きとし生けるものへの敬意と、全人類を自然と同様に受け入れる普遍 的責任という概念」に根差したかれの平和の哲学を称えた。かれは世界中の危機にたつ民族 の闘いを代表し、楽観の精神をもってノーベル平和賞を受けて、こう語った。「わたしたちは、 対話と信頼を通して変革を模索しなければなりません。チベットの苦境がそうした手段で解決 され、いつの日かわが祖国にして世界の屋根チベットが平和の聖域として、精神的啓示の源 として、アジアの中心で貢献できることを心から祈るものです」。
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