ディープブルーvs.カスパロフ
ブルース・パンドルフィーニ著 河出書房新社 より引用












時は1996年2月17日、場所はアメリカのフィラデルフィア。ガリ・カスパロフは、勝利と栄光を

手にして対局テーブルから立ち上がった。カスパロフは、人間対機械の究極の対決として注目

されていた、IBMのスーパーコンピューター、ディープブルーとの6ゲームマッチの最終局で、

その相手をうち負かしたのであった。人間が機械に4対2のスコアで勝利した。しかし内容は

スコアの差以上のものがあった。これまでの世界チャンピオンの中でも最強であるともいえる

カスパロフは、コンピューターの暴力的なまでのしらみつぶしの読みよりも、チェスへの理解と

経験で培われた戦略の方がはるかに優れていることを世の中に知らしめた。ディープブルー

は1秒に1億もの局面を評価することはできたが、チェスへの本当の理解に必要な、局面の微

妙な要素を把握することはできなかったのである。そして1997年5月11日、ニューヨーク。われ

われは前年とは違った光景を見ることになった。人間の知恵という重荷を背負って戦ったカス

パロフは、怒りと絶望をあらわにして対局テーブルから立ち上がり、完全に打ちひしがれて対局

場から立ち去ったのだ。改良された新しいディープブルーが3.5対2・5のスコアで、最強の人間

のライバルをうち破り、世紀の再戦を制したのだ。最終局はディープブルーの圧勝。それがあ

まりにも大差だったので、この結果はあらかじめ用意されていたものであり次のマッチへ興味

を引かせる布石である、と発言する評論家も出るほどであった。しかし、その騒ぎはほどなく

おさまった。IBMが次のマッチを行う予定はないとニューヨークの記者会見で発表したのだ。

IBMの株価の影響か、もしくはカスパロフの無礼な振る舞いがIBMの気にさわったのだろう

か。いずれにせよ、IBMはディープブルーで成功を収めた。世界的な巨大企業の全面的な

バックアップを得て、優秀なプルグラマーや技術者、そしてチェスのグランドマスターらの協力

で開発され、修正が加えられていったスーパーコンピューターが、最強の人間のチェスプレー

ヤーと互角に戦えることを証明したのだ。どうして前年と結果が逆転したのか、チェスというゲ

ームにこれからどのような影響を与えるのか、人間の頭脳にどのような意味を与えるのか、

と疑問はわき起こる。まさにこれらの疑問が本書を書くきっかけとなったのである。これらの

ことについて考えているうちに、この歴史に残る対決を一手一手初心者にもわかるように解

説していけば、その疑問をうまく説明できるのではないかとひらめいた。カスパロフが指し手

を直感的に考えていく、いわば選別していく指し方であるのに対し、ディープブルーはすべて

の指し手が力ずくの計算で評価していく。この対照的な2つの指し方が激突するマッチは、

チェスの基本と、どのようにして指し手が決まっていくのか、ということを説明するのにうって

つけなのである。その成果が本書である。このマッチでの差し手を詳細に説明するとともに、

チェスのおける基本的な概念やその応用についても随所紹介しよう。そして、ゲームそのも

のの芸術性や美しさ、実践的な評価、チェスを指す楽しみについても触れていくつもりだ。

ブルース・パンドルフィーニ

(本書 まえがき より引用)





これは何だったのか? 何が起こったのだ? これは何を意味しているのだ? ただの

チェスのマッチである。そして負けた。それ以外のなにものでもない。それは事実である。

しかし、誰が負けたかが問題である。世界チャンピオンが敗れたのだ。そして、誰に負け

たかが問題である。機械に敗れてしまったのだ。ディープブルーがマッチを制した。これ

は、IBMのスーパーコンピューターがカスパロフより強いチェスプレーヤーであることを意

味するのか。ほとんどの専門家はそうでないと考えているだろう。実際に自分のまわりに

いる専門家に聞いてみるとよい。きっと口をそろえたように、「カスパロフの方がまだ強い。

しかし、その差は縮まっている」と答えるだろう。


しかし、勝ったものが強いのではないのか。だがわれわれは、必ずしもその結果を信じ

うとはしない。特に負けた方が、自分のひいきのプレーヤーであったりチームであった場

合はそうだ。たまたま番狂わせが起こったと考えるであろう。チェスが団体競技ではない

のは誰もが認めるところだが、このマッチはディープブルーを勝たせようとするスペシャリ

ストの団体を相手にしていたのではないか。ある意味では人間対機械のマッチであった

が、別の意味では1人の個人が知性の集積に対して戦っていたのではないか。


実際なぜカスパロフは負けてしまったのだろう。確かにカスパロフの集中力は切れてい

た。変わったオープニングを指してコンピューターを陥れようとするあまり疲れすぎてしまっ

ただけだという専門家も多い。序中盤で有利な局面を得ていたが、普段指し慣れていない

戦形での複雑な変化を考える過程で消耗してしまったのだと。たった8日間ではあったが、

それまで一瞬たりとも気の抜けない5ゲームを戦ったカスパロフには、運命の最終ゲーム

に余力は残っていなかったのだ。そしてその通りの結果になったまでのことだ。


カスパロフにとってもう一つの問題は、対局中の感情である。対局中のプレーヤーを見る

時に、そのプレーヤーの顔の表情やボディー・ランゲージはどうしても気になるだろう。わ

れわれ観客はおもしろがって見ることができるが、対局相手から見ればそのしぐさは脅威

となっているのだ。しかし、コンピューターはこれには影響されない。しかもカスパロフは相

手の反応を見ることさえできないのだ。ディープブルーのオペレーターだけにしか脅威を与

えることができないのである。


ディープブルーそのもの、そしてオペレーターたちも称賛に値するだろう。ディープブルー

は1秒間に評価できる局面の数が前年の2倍となった。マッチの期間中のゲームとゲーム

の間でもプログラムの微調整が可能となっており、微妙で難解な局面も正確に評価できる

ようになっていた。


いろいろな理由を述べてきたが、やはり本当の理由はカスパロフが負けたのはカスパロフ

が最善を尽くさなかったからであろう。カスパロフは、カスパロフらしく指すことさえしなかっ

た。変わったオープニングを選び、過度に注意深く指したということは、カスパロフ最大の

武器である勇敢で華麗な指しまわしを使わずに戦ったことになる。そのような指し手を、こ

のマッチでは全然見ることができなかった。そしてそれらを使わなかったカスパロフにチャ

ンスが訪れることはなかった。カスパロフは、戦いにおける最も基本的な原理を忘れてし

まっていたのか。「自己に忠実になりなさい」を。これを忘れていたらどんなチェスのマッチ

であろうと勝つことは不可能であろう。

ブルース・パンドルフィーニ

(本書 あとがき より引用)





目次

訳者まえがき

まえがき

第1ゲーム カスパロフ意地の先勝

第2ゲーム ディープブルーの逆襲

第3ゲーム カスパロフのセンス vs. ディープブルーの読み

第4ゲーム ディープブルーの驚異のねばり

第5ゲーム まさに「機械」のドロー

第6ゲーム 最終局でディープブルーに凱歌

あとがき

カスパロフ vs. ディープブルー



Kasparov vs Deep Blue

Your browser is completely ignoring the <APPLET> tag!


Kasparov, Garry: Kasparov playing against Deep Blue -- Encyclopedia Britannica Online







麗しき女性チェス棋士の肖像

チェス盤に産みだされた芸術

毒舌風チェス(Chess)上達法

神を待ちのぞむ(トップページ)

チェス(CHESS)

天空の果実