
「我が魂を聖地に埋めよ」上下巻
アメリカ・インディアン闘争史 ディー・ブラウン著
鈴木主税 訳 草思社 より

その時何人の者が死んだか知らない。いま老年という高みから
ふりかえってみても、殺された女や子どもが曲がりくねった谷に
沿って積み重なり、散らばっていたありさまを、当時のまだ若か
った私の目が見たままに思い出すことができる。そして私は、
その時血に染まった泥の中で何かが死に、それは吹雪に埋も
れてしまったということがわかる。人びとの夢がそこで死んだの
だ。それは美しい夢だった・・・・・国をまとめていたたがが外
れ、すべてがばらばらになった。もはや中心というものがなくな
り、神聖な木は枯れてしまった。ブラック・エルク(本書より)

ハリウッド製西部劇で、つねにアンチ・ヒーローの役割を担わされてきた多くの酋長たち
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たとえばキャップテン・ジャック(十章)、シッテング・ブルやクレージー・ホース(十二章)、機略
縦横の雄弁家ジョセフ酋長(十三章)、そしてつねに凶悪残忍な男として描かれてきたアパッチ
族最後の酋長ジェロニモ(十七章)など --- の言葉を、本書でじかに聞いてみるが良い。少な
くとも彼らは、条約あるいは交渉の相手となった白人と同じような、いやそれ以上の知力と明敏
さと、そして人間性をそなえていたのである。彼らと比較してみれば、サンド・クリークの虐殺を
指揮したシヴィングトン(四章)、いまだに悲劇のヒーローとして偽りの名声に包まれ、その名を冠
した記念公園まで残されているカスター(十二章)などは、傲慢で無知な、血に飢えた偏執狂とし
か思われない。もちろん、中には善意で道理をわきまえた白人もいないわけではない(四章の
トール・チーフ・ウィンクップ、九章のトム・ジェフォーズとジョン・クラム、十四章のホワイト・ハッ
ト・クラークなど)。だが、個々の白人の善意は、勃興期のアメリカ資本主義の金と土地への
飽くなき要求の前ではついに無力でしかなかった。真の自然保護論者たる土着アメリカ人や、
彼らの貴重な生活物資たる野牛とともに、それらの白人の善意はしょせんフロンティアの神話
をかざる片々たるエピソードとして消えていくほかなかったのである。ところで、新大陸にわり
こんできた白人のウソは、土着アメリカ人からその土地をまきあげるための方便として使わ
れただけではなかった。白人は、自分たちのおかした侵略、暴行、詐欺、虐殺を正当化する
ためにもウソという方便に頼った。つまり、おのれに都合の悪い事実を歴史から抹消したの
である。文字によって自分たちの歴史を記録することを知らなかったが、土着アメリカ人が
コロンブスに「発見される」以前から、アメリカ大陸に存在し、猛烈な収奪とジェノサイドにあっ
て数こそ少なくなったけれども、現在まで存在しつづけてきていることは事実である。だが、
著者も序文で指摘している通り、その彼らが公刊されたアメリカ史の舞台に登場することは
ほとんどなかった。アメリカの歴史の中では、彼らはあたかも存在しなかったかのように、
あっさり無視され、抹殺されてきたのである。そのことがどういう意味をもつのか、筆者には
ここでにわかに答える用意がない。ただ、いろいろなことが明らかになりつつある現在、アメ
リカ史というものをここであらためて考えなおしてみる必要があるのではないかと思うだけで
ある。白いアメリカ人によって書かれた、土着アメリカ人や黒人抜きのアメリカ史という壮大
なウソを、われわれはこれまで読まされてきた。 --- そう言ったら言いすぎであろうか?
ともあれこの本は、反アメリカ史(本多勝一「アメリカ合衆国」)を語ることにより、自由と民主
主義の本家とされてきたアメリカ合衆国が、いまヴェトナムで暴露しつつある姿こそ、その
歴史をつらぬく本性であることをわれわれに教えてくれているのだ。
(本書・上巻 訳者あとがきより)
