未来をまもる子どもたちへ



Astronomy Picture of the Day Archive APOD: 2012 April 30 - Aurora Over Raufarhofn



2012年4月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



アイスランドにて、今年3月下旬に撮影されたオーロラ (写真はNASAより引用)



(K.K)



 




2012年4月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

イータ・カリーナ星雲 (写真はNASAより引用)



もし皆さんが南半球を旅することがあったら、南十字星(サザンクロス)の近くにあるイータ・カリーナ

星雲を見てください。



私はまだ見たことはありませんが、天の川の中にこの星雲の全体を肉眼でも見ることが出来ると思

います。上の写真はこの星雲を拡大したものです。



南十字星、サザンクロスは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも出てきますが、この南十字星の直ぐ左

下にコールサック星雲(石炭袋)という暗黒星雲が広がっています。「銀河鉄道の夜」にも出てくる

石炭袋、これは背後の星たちの光をこの星雲がさえぎっているため黒く見えるんですね。



そして南十字星の右側に赤く広がっているのが写真のイータ・カリーナ星雲で、私たちに馴染みの

あるオリオン大星雲の1000倍もの明るさを持って広がっています。



肉眼でも素晴らしいと思いますが、いつか双眼鏡で見てみたいものです。



☆☆☆☆



「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一諸に行かう。僕はもうあの

さそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」



「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。



「けれどもほんとうのさいわいは一体何だらう。」ジョバンニが云いました。



「僕わからない。」カムパネルラ がぼんやり云いました。



「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云い

ました。



「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川の

ひととこを指さしました。



ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。



天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。



その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼が

しんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。



「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこま

でもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう。」



「ああきっと行くよ。 ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとう

の天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれ

いな野原を指して叫びました。



宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」より引用



☆☆☆☆


(K.K)



 




2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



さそり座のアンタレスと球状星団M4 (写真はNASAより引用)



宮沢賢治が好きだった、さそり座のアンタレス。「銀河鉄道の夜」にはこの焼け死んだ

さそりの物語が登場してきます。



さそり座はこの時期、午前2時ごろに南の空から昇ってきますが、一等星のアンタレス

は日本では「赤星」と呼ばれています。



賢治は「ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その

火は燃えているのでした」と書いていますが、画像でも黄色い星雲の中でひときわ明る

く輝いています。



アンタレスの下、画像中央やや左に見えるのが球状星団M4で、地球からこの星団まで

の距離は約1万光年です。



日本で1万年前というと縄文時代が花開いていた時代でした。この縄文時代の光が今

ようやく地球に到達しているんですね。



画像は長時間撮影したもので、肉眼や望遠鏡ではこのような美しい星雲は見えません。

双眼鏡ですと、同じ視界にアンタレスとぼんやりした姿のM4が映ります。



(K.K)



 



Astronomy Picture of the Day Archive APOD: 2012 April 7 - Conjunction Haiku


2012年4月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

4月3日の星空。写真はNASAより引用。



日本では全国的に天候が大荒れでしたが、この日、プレアデスと金星の大接近がありました。



(K.K)



 




2012年3月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


1週間後の4月3日午後7時の星空

中央に星がごちゃごちゃ集まっている所がプレアデス星団(すばる)で、金星がその近くに大接近します。でも

都会やその近郊では、すばるをはっきりと肉眼で見るのは厳しいかも知れません。双眼鏡ですと同じ視野に

金星とすばるが輝いて見えると思います。



地上の風景はストーンヘンジで設定してみました。画像下のオプションでフルスクリーンにすると大きく見えます。



星図の右に「悪魔の星」と書きましたが、「見ると怖いぞー、見ると大変なことが起きるぞー、見るんじゃないぞー」

と脅かすつもりではありません。この星には逆に美しい発見物語があります。



「悪魔の星」アルゴルをアラビア人は「最も不幸で危険な星」と呼んでいました。それはこの星が明るさを変える星

だったからです。実はこのアルゴルの周りを暗い星が回っており、暗い星がアルゴルの前を通過するときに暗く

なることを最初に提案したのは、イギリスの若者グッドリックでした。



グッドリックは、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体でしたが1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を

追いつづけたのです。1786年、その功績によりロンドンの王立協会会員に選出されますが、その4日後にグッド

リックは肺炎により22歳の若さで他界してしまいます。美しい話と同時に悲しい物語かも知れません。



☆☆☆☆



現代人は古代人に比べれば、その知識において驚くほど多くの事を知り得る機会に恵まれている。



にもかかわらず、大部分の人びとは太陽は東から昇り西に沈むといって怪しまない。



宇宙に生起している不思議な諸現象のかなりの部分が明らかになったが、逆に現代人は古代人よりもそう

したことに注意を払わなくなった。



人工照明のために、自然が織りなす天空の交響楽というべき星のまたたきを身近に感じられなくなってし

まったのである。



その意味で現代人は古代人より不幸だといった見方もできよう。



干からびた知識よりも、まず自然の中に自分が包み込まれることを経験することの方がいまでは大切なのだ。



あるいは天文考古学は現代人の陥った精神的空虚さを無意識のうちに取り戻そうとしている行動なのかも

知れない。



「天文考古学入門」桜井邦朋著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

プロテスタント運動の先駆者ヤン・フスと、その時代のチェス

先に「聖ベルナデッタ」バチカンのことを書きましたが、バチカンには闇が漂っていた時代が

ありました。その時代に行われた多くの悲劇は私よりも皆さんの方がご存知だと思います。こ

の闇で覆われていた時代とチェスのことを少し書いてみたいと思います。

写真はヤン・フスで、以下Wikipedia より引用抜粋します。



☆☆☆

ヤン・フス(Jan Hus, 1369年 - 1415年7月6日)は、ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者。

彼はジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手した。彼の支持者はフス派として知られ

る。カトリック教会はそうした反乱を許さず、フスは1411年に破門され、コンスタンツ公会議に

よって有罪とされた。その後世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された。



フスはプロテスタント運動の先駆者であった。その広範な書物により、彼は、チェコ文学史に

おける突出した立場を得た。彼は、一つの記号でそれぞれの音を表すため、チェコ語の綴り

に特殊記号を使用し始めた人でもある。今日、ヤン・フスの言葉はプラハの旧市街広場で見

ることができる。



引用終わり

☆☆☆



ヤン・フスはチェス愛好者でした。しかし、処刑前そのことを後悔している記述があります。ヤン

・フスから100年後に生まれたアビラの聖テレサ(1515年〜1582年)も「完徳の道」という現代で

もカトリック霊性の最高峰と言われる本の中で、チェスにたとえた美しい話を書きますが、後に

削除することになります。これは当時のカトリック並びに修道院の中では世俗的な楽しみを極

端に排斥しようとしていた空気を感じ取ったからだと言われています。



前の「ケンブルの滝」でも紹介したモーリス・ズンデル神父は、「キリスト信者の徳とは、禁欲主

義の固い綱の上での曲芸ではない。キリスト教の徳とは、もし私たちが自分のすべての能力

の中にキリストを生きさせるなら、私たちをとおしてすべての人類にご自身を与えられるキリス

トのいのちである。大切なのは私の救いではなく、私たちの手の中に託された神のいのちなの

である。キリスト者の召命は神の顔となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音と

なる責任を感じながら、一人一人が他の人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の

世界には喜びがあるであろう。人が救われるのは説教によってではなく、現存によってである。

そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。太陽が歌うステンドグラスになろう!」と

言っています。



もしズンデル神父のような視点が、当時のカトリックやバチカンの多くの聖職者に共有されて

いたら数多くの悲劇は避けられたかも知れません。話は少し飛躍しますが、第2バチカン公会

議(1962年〜1965年)で指導的な神学者であったカール・ラーナーは「無神論と暗黙のキリスト

教」の中で次にように書いています。



☆☆☆

「暗黙のキリスト教・・・・これは無記名のキリスト教と言いかえてよい・・・・とは、義とされ恩寵

のうちに生きていながらも、まだはっきりと福音が説かれるのに接したことがなく、したがって

おのれを「キリスト信者」と呼ぶような立場にない人間、そのような人間の状況を言いあらわ

すものである。あとで詳しく述べるように、このような人間が存在することは神学的に疑いよ

うがない。このような状況を「暗黙のキリスト教」と呼ぶべきかどうかは第二義的な問題である。

しかしこのような表現の真に意味するところが理解されたならば、先の問いにたいしてなんの

躊躇もなく肯定の答えを与えることができるであろう。 (中略) つまり公会議は、正常な大人

において、無神論が自覚的にかなり長い期間にわたって(極端な場合には死にいたるまで)

保持されていても、そのことは当の不信仰者が道徳的に罪過があることを立証するものでは

ない。(中略) 第二に、一般的なキリスト教の原理からして、われわれは、このような無神論

者が神の前において明らかに重大な罪過を犯している、などと裁く権利を有していないので

ある。」

☆☆☆



この流れを汲む現在のカトリックは、幸い人間活動の多様性の否定を引きずってはおりませ

ん。第2バチカン公会議より前の時代ですが、偉大な法王として今でも語り継がれているレオ

13世(1810年〜1903)はチェスの名局を残しておりますし、アウシュビッツで身代わりとして亡

くなられたコルベ神父もチェスの愛好者で神学生を相手にチェスを楽しんでいました。現代で

は故・マザー・テレサもインドの青少年チェス大会に出席し、表彰状を授けています。このこと

を思うと、ヤン・フスが生きていた時代の世界・カトリック教会には想像を絶するような閉塞感

が漂っていたのかも知れません。



ヤン・フスが生きた時代に船出した星の光が、今地球に届いています。ペルセウス座のメロット

20(散開星団)です。この散開星団は望遠鏡には不向きで、双眼鏡で見るのが適しています。



またペルセウス座にはアルゴルと言って「悪魔の星」と呼ばれていた星があります。アラビア語

のラス・アルグル「悪魔の頭」からきた名前ですが、アラビア人はときどき明るさを変えるこの星

を「最も不幸で危険な星」と呼んでいました。しかし、この食変光星の変光のメカニズム(明るい

星のまわりを暗い星が回っていて、暗い星が明るい星の前を通過するときに暗くなる)を提案し

たのは、イギリスの若者グッドリックでした。彼は、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体

をおして1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を熱心に追い続けたのです。1783年にロンド

ンの王立協会で研究成果を発表し、協会はコプリ・メダルを授与し、1786年4月16日には王立協

会会員に選出しましたが、グッドリックはわずか4日後に肺炎により22歳の若さで他界しました。



(K.K)


 





2012年3月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

本日3月26日の西の空

上からプレアデス星団(すばる)、金星、月、木星。

しまった、願いごとをするのを忘れてしまった。



(K.K)



 





2012年3月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

3日後の3月26日、日没後の西の空です。

細い月をはさんで金星と木星が光り、プレアデス星団(すばる)がその上に輝いています。少し

珍しい現象なので、私も見てみたいです。



(K.K)



 





2012年3月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



久しぶりの星空観望

右側にオリオン座が見え、中央やや左にシリウスが明るく光っています。夜半過ぎ、近くで星空の

写真撮影をしていたグループが、「あ、ベガだ。もう夏が来たんだ」と歓声を上げていました。ベガ

(七夕の『おりひめ星』)は「こと座」の一等星で夏の星座「はくちょう座」の近くにありますが、深夜

1時頃に北東の空に昇って来ます。



シリウスの下に写っているのが私が日頃使っている双眼鏡で、前に紹介した双眼鏡よりも大きめ

なものです。20年以上前の古い双眼鏡を安く譲り受けたものですが、今では星空観望になくては

ならない存在になっています。



私が良く来るこの地は丹沢山系の登り口で、V6の岡田さんもこの山が大好きで時々登りにくるよ

うです。恐らく彼もここに車を停め山頂を目指すのでしょう。



実は帰り道、急カーブで突然目の前に鹿が飛び込んできました。思いっ切り急ブレーキを踏みま

したが、鹿はそのままヘッドライトに吸い寄せられるかのように突っ込んできました。幸い鹿の角

が車に当たっただけで怪我はなくそのまま走り去った姿を見て安心しました。



この地は鹿が多く、星空観望をしているといつも近くで鹿の足音が聞こえてきます。人工の光や

音が全くない静寂に包まれた闇の中では、逆に生き物たちの鼓動が身近に大きく感じられます。

ただ、丹沢山系では鹿の数が増え、このままでは木が枯れてしまうことも危惧されています。



いつかカップラーメンをすすりながら、ご一緒に星空を眺めてみませんか。



☆☆☆☆



博学な天文学者の話を聞いたとき、

証明や数学が私の前に表にして示されたとき、

それらを足したり引いたり測ったりする表や図が示されたとき、

講義室で拍手かっさいを受けている天文学者の講義を聞いているとき、 

私はすぐに疲れていやになってしまい、

立ち上がって、ぶらぶら歩くために出て行き、

湿気を含んだ神秘的な夜の空気のなか、ときどき

完全な沈黙のなかで、星々を見上げた。



ウォルト・ウィットマンの詩

「天空の果実」H・リーブス著 岩波現代選書より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 



Astronomy Picture of the Day Archive APOD: 2012 March 18 - Jupiter and Venus from Earth



2012年3月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



今、日没時の西の空に金星と木星が並んで見えます。(写真はNASAから引用)

そして東の空からは火星が昇ってきます。



(K.K)



 




2011年12月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「ケンブルの滝」と呼ばれる星の並びです。



この滝はペルセウス座とカシオペア座の近くにある「きりん座」の中に位置しています。写真では

左下から右上にかけて直線状に伸びているのがわかると思いますが、この写真は他のサイトか

ら引用させていただきました。



皆さんは、「望遠鏡だとこんなに美しく見えるんだ」と思うかも知れません。でも実はこのケンブル

の滝は双眼鏡でしか全体像を見ることができないんです。何故ならこの滝の長さは満月5個分に

相当する長さなので、望遠鏡では滝の一部しか視界に入らなくなってしまうからです。



この滝の存在は、フランシスコ会の修道士で、アマチュアの天文学者でもあったケンブル神父

が小さな双眼鏡(口径3.5cm、倍率7倍)で見つけたものです。「え?、そんなに小さな双眼鏡で

星が見えるの?」と思われるかも知れませんが、夜空には望遠鏡よりも双眼鏡の方が適してい

る天体もあるんですよ。



「私たちはこの社会の多忙さにより、小さな美さえ気づかないでいる。」ケンブル神父



もう直ぐクリスマスですね。



少し話がそれますが、私が感銘を受けた本「沈黙を聴く」の中で紹介されたモーリス・ズンデル神

父はそのユニークな思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。ようやくズンデル神

父の価値が認められたのは彼が亡くなる3年前(1972年)のことで、時の教皇パウロ6世により

ヴァチカンの黙想指導に招かれています。



このズンデル神父の言葉を紹介しようと思います。「キリスト教の話なんて聴きたくないよ」と思わ

れる方もいるかも知れませんが、クリスマスということで許してください。



☆☆☆☆



「キリストを愛するとは、すべてを愛することである。

彼とともにすべてを愛するのでなければ、イエス・キリストを愛しているとは言え

ない。私たちはブッダを愛する。この人の誠実さはキリスト教的だから。マホメット

もまたしかり。いのちと愛の足跡を見いだすところなら、どこにおいても人は安ら

ぎを感じるだろう。なぜなら、そこで神に出会うからだ。」



☆☆☆☆



ケンブルの滝、20個以上集まるこの滝の先端に散開星団「NGC1502」(写真では左端やや下

に映っています)があります。この星団までの距離は2680光年。つまり2680年前船出したこの

星団の光がやっと今、地球に到達しているんですね。この地球で2680年前頃というと「ソロン、

釈迦孔子」が誕生しています。



こんな昔のことを思い浮かべながら夜空の星を見上げるのもいいかも知れませんね。

皆さん、いいクリスマスを。



(K.K)


 


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双眼鏡で見る春の星空 双眼鏡で見る夏の星空

双眼鏡で見る秋の星空 双眼鏡で見る冬の星空

天体観測に適した小・中口径の双眼鏡

天体観測に適した大口径の双眼鏡

(映し出されるまで時間がかかる場合があります)

いい双眼鏡とはどんなもの

雑記帳(魅せられたもの)

神を待ちのぞむ

天空の果実


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