「蛇と十字架」

東西の風土と宗教

安田喜憲著 人文書院






おのおの異なる風土とそこに生まれる宗教や世界観は決して断ち切ることが出来な

いほど密接に絡み合っている。しかしこの風土とて不変のものではないことは、縄文

時代のそれと現代日本を比較しても容易に想像することが出来るかも知れない。殺

す道具さえ持たず、一部の富者をつくりだすことを避けてきた縄文時代の神は森に生

きる蛇だった。大地の女神のシンボルであった蛇、これはインディアン・ホピ族の儀式

にも見られるが、青銅器時代までの古代地中海世界においても神聖なものとして捉え

られていた。この大地の豊穣の女神のシンボルに闘いを挑んだのが、当時の一神教

のキリスト教であった。三位一体の互いを与え尽くす神が一神教と呼べるかについて

は私自身疑問が残るが、当時のキリスト教は多神教やアニミズムの世界観と対立す

る形で生まれてきた。そしてエデンの園の物語に見られる、ずる賢い悪魔の存在とし

ての蛇を攻撃する。つまり人間だけによる地球支配の夜明けが始まり、自然に対して

の畏敬を失い、現代文明のような地球規模の環境破壊がひきおこされてきたのだろ

う。勿論この大地の女神のシンボルを殺すことは人間自らの欲望を満たすために好

都合だった事実があげられるかも知れない。快適な便利な生活のために、森や他の

動植物が犠牲になることに何の抵抗も感じなくなかった人間が肥大化してきたこと。

この背景に一神教としてのキリスト教の存在が本書では展開されるが、まだ私自身

の中では解決されていない問題でもある。しかし本書は東洋の象徴としての蛇と西洋

の象徴としての十字架を取り上げた比較文明論であり、現代文明に縄文時代から

生き残ってきたアニミズムの必要性を強く訴えかける力作である。

2000年9月7日 (K.K)


キリスト教とアニミズムやシャーマニズムへの私の想いはこちらに書いています。

「インディアンの源流であるアニミズムとシャーマニズム」

「沈黙から祈りへと流れゆく聖なるもの」

「アメリカ・インディアンへの私の想い」


 




本書より引用


アメリカ大陸を発見し、人類に新たな世界観をもたらしたコロンブスの発見は、その

一面において、インディヘナの文明を侵略し破壊するという血塗られた歴史の側面を

持っていたのである。だがそのことを長い間、じつに長い間、インディヘナの人々は

声を大にして訴えることができなかった。それほどまでに近代ヨーロッパ文明は強大

であった。そして、日本人もまた経済力を手にした今、ようやく本音で西洋文明と対等

に語り合うことができるようになったのである。もちろん、アニミズム・ルネッサンスの

考え方が、ヨーロッパの人々やアメリカの人々に早急に理解されるとはとうてい思わ

れない。むしろより強烈な反発と衝突を生む可能性さえある。しかし、その本音の部

分での語り合いと対話なくして、どうして真の国際化が可能なのであろうか。共存の

前には真の対話が必要なのである。欧米の諸国が気に入るように取り繕うことはや

さしい。明治以降、日本はその道を選択してきた。だがもう取り繕うのはたくさんだ。

むしろ本音の部分にこそ、人類の未来を切り開きうる可能性と創造性があるのでは

ないだろうか。本音を語ることが「ナショナリズム」だという批判は、欧米人の傲慢だ

ろう。本音を語ることなくして、真の共存の時代は生まれてこない。日本の経済成長

を支えた平等主義、あるいは物づくりへの情熱、それらは多分に日本人が伝統的に

持っていたアニミズムの精神に発しているところが大きい。さらにファジー理論など未

来の文明を切り開く可能性をひめたハイテクとアニミズムの精神を合体させた、ハイ

テク・アニミズム文明の時代の幕開きを私は待望している。自然と人間が共存可能

な、そしてあらゆる民族とあらゆる宗教が共存可能な世界の実現に向けて、日本人

が縄文時代以来一万年以上にわたって持ち続けてきたアニミズムの精神の果たす

役割は、今後ますます見直されるに違いない。「アニミズム・ルネッサンス」には教団

も教義も必要ではない。要は一人一人の心がけの問題なのである。(本書より引用)





日本が島国であったため、大陸からの新たな異民族の侵入や侵略が不徹底であり、縄文時代

以来の世界観や神々の体系が完全に破壊されることなく温存された。その縄文時代の世界観

の中で重要なものは平等主義の理念である。唯一、天にのみ神を認める一神教は、階級支配

を前提とした宗教である。しかし、縄文人は、こうした階級支配の社会を構築することを極力避

けてきた。縄文時代は、一万年以上の長きにわたり続いた社会であるが、その社会は富が一

部の人々に集中することを避けてきた社会であった。佐々木高明先生(「日本史誕生」集英社

1991年)は、北米西岸のネイティブ・アメリカンや東南アジアの焼畑狩猟民の社会には、偏っ

た富を一気に再配分するシステムが存在することを指摘し、日本の縄文時代の社会にもこれ

によく似た富の再配分のシステムが存在していた可能性が高いと述べている。一部の支配者

に全ての富が集中し、不平等が生まれ、支配者はさらなる富を獲得するために戦争を起こし

収奪を繰り返す。これは西アジアの麦作農業地帯から出発した階級支配の社会の特質であっ

た。これに対し、縄文時代の社会は、これとは根本的に異なっていた。縄文時代の人々は、

一部の人々にのみ富が集中することを回避し、社会的緊張を緩和するために呪術的儀礼や

祭りを盛んに行い、平和で安定した平等主義の社会を長らく維持した。縄文時代には人を殺

す武器もなかったと佐原真先生(「大系 日本の歴史(1)」小学館1987年)は指摘している。

平和で安定した平等主義の社会では、人を殺す必要はなかったのである。縄文時代に一万

年以上にわたって築かれてきたこうした平等主義の伝統は、弥生時代に入ってからも、土着

の日本人の精神世界には根強く残っていたと思われる。縄文時代から弥生時代への移行期

に、極端な民族の入れ替りがなかったことも、こうした伝統的世界観の継承には幸いした。

日本人にとっては、富が一部の人々に集中することを回避したのと同じように、唯一神のみ

を崇拝する階級支配の世界観を受け入れることに抵抗があったのではなかろうか。唯一神

のみを正しいと主張し、他の神々の存在を排斥する宗教は、階級支配を前提とした。ここが

平等主義の社会を理想としてきた日本人の共感をよべなかった最大の理由であろう。戦国

時代にキリスト教が日本に伝播した時、日本人は宣教師がもたらした新しい技術や知識に

は興味を示したが、宣教師が無意識の内にかかえていた階級支配の理念には、強く反発

した。他の仏教や神道を邪教として排斥する階級支配の理念に、日本人は共感することが

できなかったのである。日本で唯一神ヤハウェの信仰が誕生することがなく、かつ伝播した

後も広く普及しなかった背景には、縄文時代以来、日本人が一万年以上にわたって培って

きた文化的伝統が破壊されることなく継承されたという点がもっとも重要な要因としてあげら

れるのではなかろうか。唯一神ヤハウェのみを絶対的に正しい主張する戦闘的な階級支配

の世界に対し、平等主義に立脚した縄文時代以来の日本人の世界は、まったく相対立する

ものであった。唯一絶対の神のみが正しいと主張する一神教が、日本に広まらなかったの

は、一神教がまさしく階級支配を前提としてはじめて存立できることを日本人が直感的に感

じとっていたからであろう。階級支配の社会の危険性を、唯一絶対の神のみを正しいと主

張する宣教師の姿の背景に読みとっていたのである。

(本書より引用)





およそあらゆる万物に死があるように、宗教にも死がある。仏教徒は仏の世界にも終わりが

あることを自ら説いてきた。末法思想がそれである。だが現代の我々は仏教やキリスト教、

イスラム教といった巨大宗教には死がないかのような錯覚に陥っている。それは現代文明が

永遠につづくという錯覚と根は同じである。人の命は限りあるものであり、人には誰しも死が

訪れることを説く現代の僧侶も、自らの信仰する宗教が終りに近づきつつあることは説かな

い。人の命には限りがある故に、今を精一杯生きなければならないことを説く現代の賢者

も、仏の世界にも終りがあることは説かない。それ故、こうした賢者は、巨大な組織の中で、

日々安穏に暮らすことができるのである。だが人間の幸福のみを考えてきた巨大宗教は、

確実に死を迎えつつある。すでに死体となり、宗教本来の役割を失い始めた宗派もあるの

に、教団の人々はその危機の自覚さえない。かつていかなる巨大な文明も、いかなる巨大

な宗教も死んだ。永遠不滅の文明、不死の宗教などはこの世には存在しない。文明の死と

ともにその文明を支えた宗教も死ぬ。そしてその死をもたらすものは、その文明とその宗教

を支えた環境なのである。古代地中海文明は森の文明だった。ミノア文明もギリシャ文明も

森の文明だった。文明のシンボルである神殿を作るのにも、交易品の土器を焼き、青銅器

を精錬するにも森が必要だった。そしてそれを輸出するための船も木でできていた。だが

文明の発展は森を破壊した。森の消滅は資源の不足をもたらしただけではない。森を失っ

た大地は冬雨に侵食されやせおとろえた。侵食された土壌は下流に運ばれ経済の中枢

機能を果たした港を埋めた。そして、港を埋めた湿地はマラリア蚊の巣窟となった。古代

地中海文明を支えた森の消滅は、経済機能だけでなく、人々の健康をもむしばんだ。さら

にその森の消滅は人々の精神世界にも大きな転換をもたらした。森の消滅は神々の死を

意味した。森の神アッティスも、豊穣の女神アルテミスも追放され死んだ。古代地中海の

多神教の神々にかわって森のない砂漠で誕生したキリスト教が地中海世界を席巻した。

事情はアルプス以北でも同じだった。アルプス以北の深い森の中には、聖なるオークを

崇拝するドルイド僧がいた。だがローマ時代以降、ヨーロッパの森が破壊され、開拓される

とともに、森の宗教ドルイド教は追放され殺された。ドルイド教の死とヨーロッパの森の消滅

は機を一にしていた。仏教もまた森の宗教である。釈迦もまた森の中で悟りを開き、森の中

で死んだ。森の中で誕生し、森の宗教の性格を強く持った仏教が生き残るためには、森を

守ることしかないのである。仏教の哲学の原点は森の中にある。森を忘れ、森を破壊する

行為は、仏教にとっては自滅への第一歩なのである。だが今日の日本で、どれだけの仏教

教団が自然保護に森の保護に深くかかわっているだろうか。森を守ることが仏教を守る原

点であることに目覚めている日本の宗派がどれだけあるだろうか。地球と人類史には周期

性があるというのが私たちの結論だった。おそらく仏教といえどもこのカルマから自由であ

ることはできまい。本当の末法の世界がまもなく訪れようとしているというのに。末法の世界

はしかし、同時に新たな宗教の誕生でもある。かつてバラモン教から仏教やジャイナ教が

誕生したように、日本では末法の思想が鎌倉仏教の誕生を生んだように、現代という時代

は既存の宗教が死に、その中から新たな宗教が誕生する時代でもある。それが私のいう

2500年目のカルマなのである。2500年前、自然の幸福ではなく人間の幸福を見つめる

宗教が誕生した。その宗教は森を破壊し、蛇信仰を追放し、この地球上に人間の王国を

樹立することに成功した。だがそれから2500年後、地球は人間の欲望であふれかえり、

痛々しく疲弊した。私たちは今、あらゆる宗教の出発点であるアニミズムの大切さを思い

起こす時なのではないだろうか。われわれを取りまく動物や植物、あるいは山や川にいた

るまで魂がある。それらを尊敬し畏敬の念と親しみを持ってつきあっていく。そこに自然と

ともに共存する思想の原点がある。アニミズムはヨーロッパのキリスト教世界では手あか

によごれた誤解に満ちた言葉である。岩田慶治先生(「アニミズム時代」法蔵館1993年)

はこれまでのアニミズムとは区別する意味で、こうした自然との共生の思想をネオ・アニミ

ズムとよんでいる。「山川草木悉皆成仏」の教えや道元の自然哲学の思想の原点にある

ものは、縄文時代以来のアニミズムの伝統であり、釈迦の自然救済のための捨て身の

教えであろう。多くの先達は、この釈迦の自然救済の教えの中にこそ、真に人間を救済

する道があることを敏感に感じ取っていた。仏教の中にアニミズムを復活し、自然救済の

ための身の業を行うことこそが、今日の仏教界に求められているのではないだろうか。



美に共鳴しあう生命


 

 


目次

はしがき

T 蛇が神さまだったころ

1 創造への情念

2 しめ縄は蛇だった

3 蛇と十字架が共存した島

4 地中海は蛇信仰の中心地

5 生まれかわる太陽と蛇

6 蛇こそ冥界の支配者


U 蛇を殺す一神教の誕生

1 蛇を殺す神々の登場

2 モーゼの十戒の風土

3 邪悪の象徴に転落した蛇

4 自然観を一変させた一神教


V 動物たちの大殺戮への道

1 化物になったメデゥーサ

2 悪魔にされた動物たち

3 動物たちの霊力の衰退


W 蛇から龍へ

1 龍の起源と発展

2 蛇から龍への変容

3 神話の共通性

4 一神教が誕生しなかった日本


X アニミズム・ルネッサンス

1 文明衝突の時代

2 新しい科学の創造

3 平等主義社会の実現

4 森を植える宗教

5 アニミズム・ルネッサンス


あとがき


 

2012年6月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「巨大な化け物に立ち向かう光の戦士」・・・自宅にて撮影



ギリシャ神話のなかで、ペルセウスアンドロメダ姫を助けるときに利用したメドゥーサは、見たものを石に

変える目と毒蛇の髪をもつ怖ろしい存在として語られてきました。



これに対して興味深い思索があります。「森を守る文明・支配する文明」安田喜憲著から引用しますが、

5月7日に投稿した「縄文のビーナス」に見られるように、土偶の全てが大きな目を持っていたわけでは

ないと思います。しかし、安田氏(京都大学教授)の視点はギリシャ神話とは全く異なった古代の世界観、

その視点をこの現代に問いかけているのではないでしょうか。それはメドゥーサの蛇に関しても同じこと

が言えるのだと思います。



☆☆☆☆



この森の生命と同じように、人間の生命もまた死してのち、再生したいという願いが、目に対する信仰を

生み、巨大な目の土偶を作り、メドゥーサの伝説を生んだのである。



私たちをじっと見つめる巨大な土偶の目やメドゥーサの目には、森のこころが語られていたのである。



それは、古代の人々が森に囲まれて生活してことと深くかかわっていると思う。



古代の人々が深い森に囲まれて生活していた頃、自分たちをじっと見つめる大地の神々の視線を感じた。



その森が語りかけるこころに対して、人々は畏敬の念を込めて、巨大な目を持った像を造形したのである。



大地の神々の住処である森。



しかし、こうした人間を見つめる目を持った像は、ある時期を境にして作られなくなり、あげくの果てには

破壊される。



メドゥーサが神殿の梁からゴロリと落とされ、イースター島のモアイが引き倒され、三星堆の青銅のマスクが

破壊され、燃やされた時、そして縄文の土偶が作られなくなった時、それは森が激しい破壊をこうむったり、

消滅した時でもあった。



森がなくなり森のこころが失われた時、人々は自分たちを見つめる巨大な目を持った像を作らなくなった

のである。



私は、その時に一つの時代が終わった気がする。



森のこころの時代の終焉である。日本では、縄文時代に3000年以上にわたって作り続けられた巨大な

目を持つ土偶が、弥生時代に入ると突然作られなくなる。



その背景には、森と日本人との関係の変化が深くかかわっていたと考えざるえない。



弥生時代の開幕は、大規模な森林破壊の開始の時代でもあった。



水田や集落の拡大の中で、平野周辺の森は破壊されていった。



こうした森の破壊が進展する中で、縄文人が抱いていた森のこころが次第に失われていったのであろう。



☆☆☆☆




(K.K)



 


2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



火焔型土器(縄文土器)の真価を初めて発見した岡本太郎



私は読んでいませんが、岡本太郎著「画文集・挑む」1977年、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号

「縄文土器論」の中で、「太陽の塔」で有名な芸術家、故・岡本太郎氏は次ぎのように記しています。



☆☆☆☆



○「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不

思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・

縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があっ

たのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え

あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己

発見でもあったのだ。」



○「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと

執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を

主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」



☆☆☆☆



この縄文時代の火焔型土器は、岡本太郎氏より前に多くの考古学者や人類学者が目にしてき

ました。彼らは刻まれた文様などの解釈に悩んでいたのだと思います。しかし彼らの頭の中では

論理的思考しか働いておらず、土器が持つ「生命力」を感じることが出来ずにいました。この火焔

型土器(縄文土器)の再発見のいきさつを思うと、左脳の論理的思考だけでは真実は見えてこな

い、右脳の創造性や直感も如何に大事かを教えてくるのではと思います。この意味での「平衡感

覚」が「在るべき人間」に備わっていると私は感じます。



先に紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、「光の画家」として知られるフェルメール(1632年か

ら1675年)の作品に独自の解釈をした文献も出されているようです。学者の中でもこのような平衡

感覚が備わっている方はいますが、「在るべき人間」とは、知能や知識などで判断されるものでは

決してないと思います。



誰が話したか覚えていませんが、「毎朝、妻の寝顔を見ると、新しい女がいつもそこに眠っている」

という感覚。縄文人にとっては、一日一日が美や創造の再発見であったのかも知れません。



最後に私が尊敬する哲学者・梅原猛氏の岡本太郎氏に関する記述を紹介して終わりにします。

これは「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」梅原猛著からの引用です。



☆☆☆☆



この縄文土器の美を発見したのは、前にも述べたように岡本太郎氏である。美というのは、すで

に存在しているものであるが、やはりそれは誰かによって見い出されるものである。日本の仏像

の美を見い出したのは、フェノロサや岡倉天心であったし、木喰(もくじき)や円空(えんくう)の仏像

や民芸の美を見い出したのは柳宗悦なのである。縄文土器もそれまで、数多くの人が見ていたは

ずであるが、それが美であり、芸術であるとはっきり宣言するのには、やはり岡本太郎氏の前衛

芸術によって養われた審美眼を待たねばならなかった。



☆☆☆☆




(K.K)



 

 


2012年3月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



奄美にいたときの私。

長崎・佐世保で生まれ、3歳の時に私たち家族は奄美に移り住んだ。



佐世保の近くに黒島という隠れキリシタンが住んだ島がある。成人してからこの島と黒島天主堂

訪れたときの衝撃とそこで与えられた意味は私の大切な自己基盤の一部になっている。



そして奄美大島、そこはシャーマニズム・アニミズムの世界観が残る地であった。幼少の頃はそん

なことなどわかるはずもなく、青く澄んだ海、赤い蘇鉄の実、さとうきび、そして怖い毒蛇ハブが住む

森を身近に感じていた。



「一人で森に入ってはいけない」と何度も言われた。それ程ハブが棲む森は子供にとって恐ろしい

場であった。逆に言うとハブがいたからこそ、昔の奄美の森は人間によって荒らされずに生き残っ

てきたのかも知れない。



ホピ族の有名な踊りに「蛇踊り」がある。砂漠に住む猛毒をもつガラガラヘビなどを多く集め、儀式

するのだが、その儀式の前に長老達は一つの部屋にこれらの蛇を置いて数日間共に過ごすので

ある。そして儀式が済むと蛇たちは丁重に元の砂漠に帰される。



確かに日本でも蛇信仰はあったと思う。母の実家・久留米の家では白蛇がおり家の人たちは大切に

その蛇を扱っていた。私は白蛇を見たことはないのだが何度もその話を聞いて育った。



創世記で蛇がイブを誘惑したことから生じてきたずる賢い悪魔の存在としての意味、そして蛇信仰が

残る地や奄美、両者には決定的な自然観・世界観の違いが横たわっていると感じていた。



前者からは人間だけによる地球支配の夜明けが始まり、自然に対しての畏敬を失い森を切り開い

た姿が、後者からは脱皮を繰り返す蛇に、森の再生のシンボルとしての意味を見い出せるかも知

れない。



良くキリスト教は一神教と言われるが、私はそうは思わない。父・子・聖霊の3つの姿が互いに与え

尽くしている姿、三位一体はそのことを指し示しているのではないかと思う。



言葉では偉そうに「与え尽くす」と簡単に言うことは出来るが、それを肌で知り、示すことは私には

出来ない。インディアンの「ポトラッチ」、縄文時代での社会的緊張を緩和するために呪術的儀礼や

祭を通して平和で安定した平等主義、「与え尽くし」の社会。



ある意味でキリスト教の真実の姿を体現しているのが先住民族たちなのかも知れないと思うことが

ある。



まだまだ多くの疑問が私の中に横たわっているのだが、長崎・奄美から旅立った私の魂は、ブーメ

ランのように再びこれらの地に戻ろうとしているのかも知れない。



☆☆☆☆



「ガラガラ蛇からサイドワインダー、ヤマカガシまであらゆる種類の蛇がおった。

六〇匹はいたじゃろう。あちこちに動き回って、囲んでいる男たちの顔を見上げ

ていた。男たちは動かず、優しい顔つきで歌っているだけじゃ。すると、大きな

ガラガラ蛇が一人の老人の方に向かい、足をはい登り、そこで眠り始めた。

それから次々と蛇がこの老人に集まり、優しそうな顔をのぞき込んでは眠り始

めたのじゃ。蛇はこうやって心の清い人間を見分けるのじゃよ。」



コアウィマ(太陽を反射する毛皮)の言葉

「ホピ・宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 







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