アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)への私の想い



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キリスト教(カトリック)にも惹かれるものとして、過去そして現在もキリスト教が犯した

卑劣な行為に目をつぶることは許されない。インディアンたちは異教徒、野蛮人、悪魔、

サタンの息子との烙印を押され、虐殺や、祖先から受け継いだ土地を追われた。多くの

キリスト教徒よりも高く神と結びついていたいたにも関わらず、クリスチャンという醜い仮

面の下にあった征服欲、所有欲、金銭欲が彼らを徹底的に抹殺する。インディアンの精

神は傷つけられ、今も多くの人が差別され職も持たず、貧困に喘いでる。130年前、有

名な首長クレイジー・ホースの許で数年間、生活を共にした白人・ニューカムは次のよう

に書き記している。「断言しますが、インディアンのこころに秘められた人間的な優しさ、

キリスト教精神と相通じるものは、他のどこにも見かけたことがありません。貧しいもの、

病弱の者、年老いた人、未亡人、孤児を最優先して面倒を見ます。キャンプを移動する

際も、 みんなで未亡人のロッジを真っ先にたたんで新しい土地に立ててあげました。狩

りをした時も、獲物の肉をいちばん必要としている人から順に大き目の分け前をあげて

いました。私も仲間の一人として同等の扱いを受けました。これまでに私は多くのクリス

チャンと会ってきましたが、そのスー族のインディアンほどキリスト教精神の真髄に近い

ものを見せていた人種は見当たりませんでした。・・・”レッドマンのこころ”より」 失われ

つつあるこの偉大な精神文化を再びよみがえらせるために、彼らの声に耳を傾け、ただ

単に受容するだけでなく自己変革をし続けなければ、あまりにも肥大化し絶滅した恐竜と

同じ運命を人間は辿り、この世界は未来を、そして神を失うかもしれない。・・・・

1996.10.17





私は結婚する前にアッシジの聖フランシスコに導かれ、カトリックの洗礼を受けた。

その後、私はアメリカ・インディアンの精神に触れ、彼ら先住民族の方たちが如何

に「与え尽くし」に生きた民であるかを、創造主の教えを如何に忠実に守りぬいた

民であったかを感じるようになっていった。彼らが持つ崇高な精神文化を知れば

知るほど、そして2000年もの間、キリスト教が犯してきた人間・環境破壊を思うに

つれ、私が歩く道はいつしか彼ら先住民族の視点という灯台に導かれているのを

感じている。確かにキリスト教でもカトリックは第二バチカン公会議から、積極的に

異文化の中からも神の霊性を感じ取ろうとしている。しかし、今の私は、何故この

ことに気づくまでこれほどの長い歳月をかけなければならなかったという疑問が、

頭から離れないでいる。この2000年もの間に、どれだけ多くの方たちの魂を破壊

し、生命の糧を奪い取ってきたか。どれだけの血と涙が大地に吸い込まれてい

ったのだろうか。三位一体の互いを与え尽くす神の姿は失われ、教義の解釈に

よる分裂が延々と続けられてきた。常に七世代先の世界を考えて今を生きてき

た先住民族の方たちとは対照的に、キリスト教の世界観は創世記から終末まで

一直線に描かれており、未来の世界・人類に対しての責任など全く顧みられる

ことはなく、その責任と義務をすべて放棄してきた。勿論キリスト教の歴史の中に

おいて、アッシジの聖フランシスコに代表される聖なる輝きが幾つか輝いている

のも事実である。しかし、その聖なる輝きが先住民族の方たちの殆どすべてに

共有されていたことを私たちはどのように受けとめなければならないのであろう

か。聖書という文字を持たない彼らが、何万年も守り続けてきた現実をどのよ

うに理解したらいいのだろう。彼ら先住民族の方たちは万物を通して創造主の

息吹に触れていた。そしてそこにはいつも、喜びと感謝と祈りが横たわってい

る。万物の声を聴くこと、この深い沈黙のうちにしか聴けない声に導かれて、

彼ら先住民族の方たちは創造主の息吹に触れ合ったのである。文字によら

ないこの出会い、この出会いが彼らの魂にしっかりと刻みこまれていったので

ある。私は弱い人間である。まして真理を語る資格などないのだろう。ただ、

私はこの真の求道者達の言葉に耳を傾けたい。そして今でも心の片隅のど

こかに残る三位一体という互いを与え尽くす神への畏敬を抱くものとしてアメ

リカ・インディアンの精神をこの世から失うことだけは、絶対ゆるされてはなら

ない。一人一人が深い沈黙のうちに存在そのものと向き合う姿勢なくして、

どうして真理を語ることなど出来ようか。自分のまなこにフィルターをつける

ことこそ真理への冒涜であり、神への反逆である。たとえそのフィルターが

聖典と言われるれるものであっても、それが存在そのものの重みを覆い隠す

ものであり続けるならば、、その眼には決して聖なる輝きは映し出されること

はないだろう。この2000年もの間、キリスト教が徹底的に破壊してきた先住民

族の豊饒な精神文化とキリスト教の真髄が相交わり、聖なる輝きを放つ次元

が果たして存在するのか今のわたしには見えない。だが、その探求なくして

私の今歩むべき道はないと感じている。

1998.10/3


 



同化政策としてのインディアン学校

光の証人たち インディアン・ヴェイユ・聖フランシスコ 1997.12/3

沈黙から祈りへと流れゆく聖なるもの

未来をまもる子どもたちへ

真実のポカホンタス

ホピの預言(予言)







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アメリカ・インディアンへの私の想いは、「雑記帳・魅せられたもの」並びに「心に響く言葉」

そして「天空の果実」にも書いていますので、お読み頂けたら幸いです。


雑記帳(魅せられたもの)

1999.1/30未来を守る無名の戦士たち
1998.8/27希望
1998.4/20父は空、母は大地
1997.12/31与え尽くし
1997.12/3光の証人たち
1997.7/25インディアンの源流であるアニミズムとシャーマニズム 
1997.6/20霊的な戦士
1997.6/9アメリカ・インディアンの残虐性の真否
1997.5/30禅と聖なる魂
1997.5/18真の文明とは
1997.5/4「チェロキーインディアンからのメッセージ」
1997.3/30野生の鹿と出会って
1997.3/16「パパラギ」
1997.3/6「レイム・ディアー」
1997.2/5「ネイティブ・アメリカン=叡智の守りびと」


心に響く言葉

1999.9/09グレイト・スピリットの庭に咲く花
1998.9/06北米ミンカス族のことわざ
1998.5/08「人間が好き」 アマゾン先住民からの伝言
1998.2/14「ネイティブアメリカン・リプロダクティブ権連合において宣誓された言葉 
1997.9/29「ウォーク・イン・ビューティ」
1997.6/20「シアルス(シアトル)首長の言葉(1853)」
1997.5/18「デニス・バンクスの言葉」
1997.5/04「ホーク・フー・ハンツ・ウォーキング(メディスンマン)の言葉」
1996.12/15「リンダ・ホーガン( Linda Hogan )の言葉」
1996.11/10「首長テクムセ(1768-1813)の言葉」


雑記帳・天空の果実

120億年彼方の深宇宙 
インディアンに語り継がれてきたプレアデスの伝説 
地球の上空から見た牡牛座とプレアデス
ヒクソン・コンパクト銀河群40
アナサジ族が記録した超新星爆発(カニ星雲)とハレー彗星 


アメリカ先住民の呼称(ネイティブ・アメリカンとアメリカ・インディアン)

(ネイティブ・アメリカンとアメリカ・インディアン)




2012年1月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

ホピ・インディアンの長老で、アメリカ先住民族運動の精神的リーダーのひとりであるトマス・

バニヤッカ
(Thomas Benyacya 1999年他界) の紹介と言葉を書きます。

写真では左側に写っている方がトマス・バニヤッカです。



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 築地書館から引用します



☆☆☆



1948年、第3メサの長老たちは、トーマス・バニヤッカを含む4人の若者を、自分たちの

「耳と舌」となるように選んだ。この4人の若者の役目は、ホピの予言に伝えられている恐

ろしく深刻な警告を外の世界に広めることだった。



ホピの予言には、「ハウス・オブ・マイカ(国連の意)」と、「灰のつまったヒョウタン(原子爆

弾)」が登場しており、人間が破壊的な生き方を変えない限り、避けることのできない大火

災--- 清め ---が起きるであろうとのメッセージがこめられている。



この予言を伝える4人の使者のうち現在生きているのは80代半ばのトーマス・バニヤッカ

ただ一人であり、彼はまた伝統派のインディアン運動におけるスポークスマンの一人でも

ある。(中略) 



「この土地で起こっている問題の原因は、鉱業界の連中がこの地に眠る石炭が欲しいた

め、いやそれ以上に、核兵器の原料、ウラニウムを手に入れたいからなのだ。ホピの予

言には、核兵器のことが伝えられている。それは灰の詰まったヒョウタンと呼ばれ、白人

があちらこちらへと飛ばし合い、そのうち誰にも消すことのできない炎を空一面に広げて

しまうものだ。



もしおまえさんたちが今やっている行いを正さなければ、自然そのものが手を下すことに

なるだろう。どうすることもできない強力な“力”が現れるのだ。ホピの予言に伝えられて

いる“最終段階”が今なのだ。近年各地で起こっている地震、噴火、火災、ハリケーンの

数々 ---これは最後のしるし、最後の警告なんだ。地球はすでに最終段階に入っている。



ホピの予言によると、最終段階では白人がインディアンの土地を盗むことになるらしい。

予言に伝えられたことは、すべて現実となっている。私たちは祈りと瞑想を通して、この

世界をあと少しの間、破壊しないでくださいと偉大なる精霊に頼んでいるのだ。だが、白

人への罰はすでに下されつつある。浄化はもう始まっているのだ。(中略) 



平和で調和のとれた暮らしを、この大地とすべての生命との調和を保てる暮らしをさせ

てくれ。世界の調和を保つには、祈りと瞑想しかないのだ。



ホピの予言では白人について、こう伝えられている。もともと白人は私たちの兄弟であり、

東の方角へ旅立っていったのだ。白人はそこで発明について学び、みんなの生活を向上

させるためにそれを持ち帰るはずだった。そうすれば、白人は私たちの精神の輪を完成

させられるはずだったんだ。しかし、白人は輪のシンボルを持ち帰りはせず、代わりに

十字架を持ち帰った。



輪は人々を引き寄せ、十字架は人々を引き離す。十字架は分裂を引き起こすものだ。

白人はインディアンたちを十字架のように引き離してしまいたいのだよ。奴らは私たち

をつるしたいのだ--- ウラニウムでできた十字架に!」



☆☆☆☆



僕はマルコス政権下のフィリピンを訪れたことがある。この旅で未だに忘れられない言

葉がある。先の大戦中、両親を日本兵に殺されたその男性はこう言った。「私はずっと

日本人を憎んできました。でもあなた達がここに来ることを聞いて、私は許すことができ

るよう一生懸命神に祈って、やっと来ることができました」



彼の目には憎しみはなかった。先の大戦は僕たち世代が関与したわけではない。しか

し、同じ日本人が起こしたことと、それに苦しめられてきた人のことを無関係と呼ぶこと

は僕には出来ない。



これはキリスト教にもあてはまると思う。何故この悲劇が起こったのか、必死になって

その原因を探り感じなければならないと思う。



トマス・バニヤッカ氏の心の叫びを僕がどれほど汲めるのか甚だ疑問だ。しかし彼の

言葉が自分とは無関係だと思いたくはない。



(K.K)


 


2012年1月14日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

デキストラ(ホピ族の著名な女性陶芸家)の作品です。

これから暫く太古の昔からインディアン・ホピ族が守ってきた予言に関する投稿をします。多くの

人が「予言」と聞くと恐怖を煽り立てるものと不審に思われるのは当然かと思います。ですから、

Facebookで私と友達であっても遠慮なく削除してください。また今後、皆様へご迷惑をおかけした

くないので、私のほうから皆様の投稿に対してコメント、そして「イイネ」はしません。私としては、

今後もホピの予言を軸に、キリスト教(前の投稿を読まれてください)や星空・チェスなど関心ある

ことをジョークを交えながらありのままの自分で書いていきます。



デキストラ(ホピ族の著名な女性陶芸家)の言葉

「インディアンの夢のあと」北米大陸に神話と遺跡を訪ねて

徳井いつこ著 平凡社新書 より引用



☆☆☆



巡礼というのかしら、ホピではいまでも定期的に遺跡を訪ねて捧げものをしているでしょう。「そう。

自分自身をきれいに拭うために。そして“思いだす”ために。記憶を新たにするために。われわれ

がどこから来たか? 誰であるのか? 自分自身を霊的に新しくする作業なのよ。・・・・本当は、

遺跡だけではない。地球上のどこであれ、神聖な場所。どこにいても、あなたがひとりでいて静か

であれば、創造主と話をすることができる。いつでも、どこでも、創造主の助けが必要なときは。

だって、あなたが何を感じているかを知っているのは、彼ひとりだけ。創造主、グレイト・スピリット。

彼を見た人はいない。それでも、どこにいても直接話ができる。われわれは創造主のことを“イタナ”

と呼びます。“お父さん”という意味」 (中略) 「そう。ずっとずっと昔、何百年も前からホピの先祖

は言い続けてきたのよ。<何もかも失うときが来るだろう。白い人たちがやってきて、すべてが根こ

そぎにされてしまうだろう。そのときあなたにできることは、ただひつつ。“思いだす”こと。自分が誰

であるのか、どこから来たのか、いつも心に留めていること>と」 自分が誰であるかなど、知ること

ができるでしょうか。私は、自分が何者であるかを知りません。デキストラは知っていますか? 「自

分が何者であるかを知るということは、自分自身をいつも油断なく見張っている、ということ。<周囲

で起こっていることのなかに没入してしまわないように注意しなさい!>と先祖は言った。<起こって

いることから距離をとって、ひとりで歩むこと>と。先祖はずっと昔から、来るべき時代のことを知って

いたのよ。<カップのような物体がもの凄い速さでそこらじゅうを走りまわるだろう。光がついて中に

は人間が乗っている>。これは車のこと。<われわれの頭上、空一面に、たくさんの蜘蛛の巣が張

りめぐらされるだろう>。これは飛行機のこと。<われわれの世界は、ふたつの黒い板に挟まれた

白い物体によってまったく変わったものになってしまうだろう>。バイブルのことよ」 予言の一部です

ね 「そう。<子どもたちは親や年よりを二度と敬わなくなるだろう>。知ってのとおり。若い人たちは、

ホピにおいてさえ、まったく過去を敬おうとしない。私にとって過去は、かけがえのないもの。価値あ

るもの。古い時代の古い人々の生き方のなかには、多くの真実が含まれている。昔から人々は、

<大地のめんどうを見るように>と言いえてきた。<自然を壊すことがあれば、必ず何かが起こる>

と。それがいま起こっている」 「ホピに来るたびいつも感じるのは、地球、自然の古さということ。風

に磨かれた岩の魂ひとつ、水に削られた渓谷ひとつ・・・・・・・・どれをとっても人間がつくったどんな

遺跡よりもずっと古い。多くの神話や物語は、そうした“古きもの”と人間とのつながりについて語って

いる。プエブロには昔からストーリーテラーと呼ばれる役目の人がいて、物語を続けることで、“古き

もの”に結びつけられた人間の姿を繰り返し確認するという機能を果たしてきた。物語を失ったわれ

われは、自然との絆、過去と未来との絆を失って、風のまにまに漂っているわけです」 「私が子ども

のころ、まわりにいる大人は誰でも物語を話してくれた。冬は暖炉のまわりで、夏は屋根の上に寝そ

べって。土の家は蒸し暑いから、みんな屋根に上がって眠るの。ブランケットもなし。ただ寝転がるだ

け。落ちていきそうに深い夜空を覗きこみながら、たくさんの話を聴いた。この世界のありとあらゆる

ものについての物語。太陽、月、鹿、蛇、蟻、鷲、・・・・悲しくて泣いてしまう物語もあった」 (中略) 

ホピ居留地内には小学校が六つと、中学、高校が一つずつありましたね。昨日、ホピ・カルチャーセ

ンターで見かけた高校生の卒業パーティーはずいぶん華やかだった。みんなタキシードとかドレスを

着て、酔っぱらっている子もいたみたい 「そう、高校生はひどい。煙草は吸うし、マリファナもやる。

サンタフェとか都市の学校に通っていた子が戻ってきて、そういうことの中心になる。若い子がそんな

だから、儀式に参加する人がどんどん減ってくる。カチーナ・ダンスを続けていくのも大変なのよ」 

将来に絶望している? 「絶望はできない、あきらめることはできないのよ。われわれは子どもたちに

伝え続けなければならない。しかるべき年齢になれば、たぶん、気づくときがくる。われわれにできる

のは、話すことだけ。人生をつくるのはお前たち。お前たち自身の選択なんだよと」



☆☆☆



(K.K)


 


2012年1月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「ルルドの奇跡」で有名な聖ベルナデッタ(1844年〜1879年)の写真です。



昨日(1月10日)の投稿は少し気合が入りすぎたかなと思いますが、今日も少しだけ真面目に、

長くなりますのでお付き合いください。



私は教会を離れた身です。それは教会が悪いのではなく私自身の弱さ、未熟さがそうさせた

のだと断言できます。話は前後しますが、私は結婚する1ヵ月前にカトリック教会で洗礼を受

けましたが、それはアッシジの聖フランシスコを通してキリスト教に惹かれていたからだと思い

ます。



新婚旅行で、このアッシジ、そしてバチカンを巡りました。当時バチカンにはヨハネ・パウロ2世

に日本語を教えていた西山神父さんがいました。私の妻の知り合いで西山神父さんを知って

いる方がおり、その紹介で私たちは、バチカン宮殿の立ち入りを許可されていないところまで

案内してもらいました。



アッシジでは聖フランシスコゆかりの地を巡礼しました。このアッシジで強く心に残っているのは、

聖フランシスコに語りかけた十字架、彼ら兄弟会の心の故郷ポルチウンクラという小さな礼拝

堂、そして聖フランシスコの精神を最も体現したと言われる聖クララの遺体です。



聖クララの遺体は黒くミイラ化しているものの、死後750年経っても腐敗を免れています。写真

の聖ベルナデッタも死後130年経っても腐敗していません。この「腐敗しない」体というものをど

う捉えていいのでしょう。ちなみに教会には沢山の聖人がいますが、その全てが腐敗しないと

いうことではないのです。アッシジの聖フランシスコもそうですし、前の投稿で紹介したピオ神父

もその遺体は腐敗していました。



この答は一人一人違うのかも知れませんし、現代科学では説明できなくとも将来その秘密が

解明される時が来るかも知れません。ただ当時の私は深く考えもせず不思議な光景だとしか

見ていなかったように思います。バチカン宮殿の奥にあるヨハネ・パウロ2世の「祈る部屋」に

は十字架のないイエス・キリスト像がありました。西山神父さんは「これは法王自らが十字架を

背負わなければならないことを意味している」と説明されておりましたが、この部屋の近くの廊

下に最初の殉教者ステファノの遺体(首)がガラスケースに置かれていました。



私自身歴史には詳しくないのですが、紀元後35年か36年に聖ステファノは石打ちの刑に処せ

られます。そしてそれから約300年後のホノリウス帝の時にステファノの遺体が発見されます。

恐らくそれ以降は人目に触れさせずにバチカンに保管されていたのだと思います。その遺体

(首)は腐敗していませんでした。ただ顔の半分にひどい拷問を受けた跡が残り、耐え難い苦

痛のうちに絶命したことがわかります。しかしこの遺体も十字架のないイエス像と同じように

法王自らが負わなければならない責務を思い起こさせるためなのだと感じてなりませんでした。



聖ステファノ、聖ベルナデッタ、聖クララの腐敗しない遺体をどのように解釈したらいいのでしょ

う。それは神からの伝言であると私は感じています。ただ、その伝言から何を受け取るかは一

人一人に託されているように思います。



最後に私に関してですが、キリスト教の霊性と先住民の霊性が合い交わるところを捜している

のかも知れません。1492年のコロンブスのアメリカ大陸上陸から500年以上にも渡る、先住民

の辿ってきた長き苦難の道にキリスト教も深く関わってきました。その疑問が頭から離れない

でいるのかも知れませんが、ただそんな探求に意味があるのかもわかりませんし、私みたい

なろくでもない野朗がやること自体滑稽なことであり、必ずどこかで挫折するとは思います。そ

んな私でも、心の拠り所としているのは、アウシュビッツで亡くなった無名の女性の魂なのかも

知れません。それを紹介して終わりにします。



☆☆☆

それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。「私をこんなひどい目に遭わしてくれ

た運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。 「なぜかと言いま

すと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそ

こにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外

を指した。外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈んで外

を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた一本の緑の枝

を見ることができた。「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の

言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか?不思議に思って

私は彼女に訊いた。「樹はあなたに何か返事をしましたか?-しましたって!-では何て樹は言っ

たのですか?」 彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。

私はいるのだ。永遠のいのちだ。」

フランクル「夜と霧」より引用

☆☆☆



(K.K)


 


Taos woman

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







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