チェス(Chess) 1995年3月24日 ジュニア選手権(蒲田チェスセンターにて) 相手は渡井美代子(Watai Miyoko)さん


「チェス(Chess)の未来 その三」に戻る。


チェス(Chess) 1995年3月24日 ジュニア選手権(蒲田チェスセンターにて) 渡井美代子(Watai Miyoko)さん


チェス(Chess) 1995年3月25日 ジュニア選手権(蒲田チェスセンターにて) 渡井美代子(Watai Miyoko)さん




2013年2月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」文芸春秋 を読み終えて

(写真はフィッシャーの写真集より引用したもので世界選手権の休息日に撮られたものです。)



2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!

ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。

やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。

ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。

今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、

この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 

おまえたちの終りは近いぞ」



これはイスラム過激派の言葉ではない。この言葉は1972年という東西冷戦時のソ連にたった一人で

立ち向かい、チェスで勝利した男・ボビーフィッシャー(ユダヤ人の血をひくアメリカ人)が発したもの

である。



チェスを超えて自由主義圏の英雄ともてはやされた男が何故ここまで堕ちたのか、いや正確には追い

つめられたと言ったほうがいいのだろう。



妥協することを許さない天才。彼の言葉は物事の真実を暴こうとするが周囲からは理解されず、彼の

名声やお金に与ろうする人間によって傷つけられ、人間不信と妄想そして貧困が彼を蝕んでいく。



母子家庭で育ったフィッシャー、その乾いた心を慰めてくれたものがチェスだった。その天性の才能は

花開き、数々のドラマを生みながら目標としていた世界選手権に挑む。



相手はソ連の世界チャンピオン・スパスキーだった。スパスキーは、その天性・性格・容姿から「チェス

の貴公子」と呼ばれていたが、1968年ソ連がチェコスロバキアに軍事介入した時、スパスキーは黒の

腕章を巻いて大会に現われ、チェコの選手一人一人に握手した。ソ連政府に対して暗黙の抗議を行っ

たスパスキーは1975年フランスに亡命することになる。



一匹狼のフィッシャーと貴公子のスパスキー、この似ても似つかない二人が、1972年世界チャンピオン

の座をかけて戦い、そして20年後の1992年にも国連制裁を受けていたユーゴスラビアで再び戦う。



チェスは白と黒の全く異なる駒が戦う競技だが、それは相手がいればこそ成立する。最初は国の威信

をかけての敵同士だったが、アイスランドでの選手権の戦いを通して彼らはまるでチェスの白と黒の駒

のように惹きつけ合い、互いになくてはならない存在になっていることに気づく。



フィッシャーがアメリカ政府から起訴され、日本で無効なパスポートをもって入国したとして入管法違反

で拘留させられたときも、スパスキーは6歳年下のフィッシャーを、まるで本当の弟のように心配し、

「何故、フィッシャーだけ捕らえるんだ。私も同じ留置所に入れてくれ」と弁護している。



「フィッシャーはその天性の完全さでいつも私に特別な感銘を与えた。チェス、

そして人生の両面においてだ。妥協は一切なかった」 スパスキー



本書はフィッシャーと長年親交があった人が書いたフィッシャーの評伝であるが、単に壊れていく悲劇

の軌跡を追うだけに留まらず、稀にみる一人の天才が対局場で産み出したチェスの名局と共に、チェス

盤と同じ64マスの生涯を終えたフィッシャーの人生そのものがチェス盤そのものに映し出されたような

錯覚に陥ってならなかった。



2013年2月17日 K.K



 




2013年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



ヴェラ・メンチク(1906-1944)・写真は他のサイトより引用



現在でも光り輝く星・ヴェラ・メンチク、彼女はチェスの世界チャンピオンを倒したこともある実力を持ちながら、

第二次世界大戦のドイツの空爆により、38歳で亡くなる。



上の写真はメンチク(前の女性)がクラブの23人のメンバーと同時対局(18勝1敗4分け)した時の写真である

が、彼女の偉業を称えて、チェス・オリンピックでは優勝した女性チームに「ヴェラ・メンチク・カップ」が現在に

至るまで贈られている。



彼女のような輝く女性の星が再び現われるには、ユディット・ポルガー(1976年生まれ)まで70年もの年月が

必要だった。チェスの歴史上、数多くの神童や天才が出現したが、その中でもひときわ輝いていた(人によっ

て評価は異なるが・・・)のがモーフィー(1837年生まれ)、カパブランカ(1893年生まれ)、フィッシャー(1943年

生まれ)である。



他の分野ではわからないが、このように見ると輝く星が誕生するのは50年から70年に1回でしかない。



20世紀の美術に最も影響を与えた芸術家、マルセル・デュシャン(1887年〜1968年)もピカソと同じく芸術家

では天才の一人かも知れない。1929年、メンチクとデュシャンは対局(引き分け)しているが、デュシャンは

チェス・オリンピックのフランス代表の一員として4回出場したほどの実力を持っていた。



「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が

起こるように、何ものかを生み出す」・デュシャン、この言葉はやはり前衛芸術の天才、岡本太郎をも思い出

さずにはいられない。世界的にも稀有な縄文土器の「美」を発見したのは岡本太郎その人だった。



「チェスは芸術だ」、これは多くの世界チャンピオンや名人達が口にしてきた言葉だ。この言葉の真意は、私

のような棋力の低い人間には到底わからないが、それでもそこに「美」を感じる心は許されている。



メンチクの光、芸術の光、それは多様性という空間があって初めて輝きをもち、天才もその空間がなければ

光り輝くことはない。



多様性、それは虹を見て心が震えるように、「美」そのものの姿かも知れない。








2012年11月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「美女と野獣」(写真は他のサイトより引用)



今年2012年10月16日、アメリカの「チェスの日」に行われた Amanda Mateer(National Master)

による同時対局。



1989年生まれの彼女は、25人を相手に同時に対局(22人に勝利し、3人と引き分け)しましたが、

チェスの面白さと奥深さを知る写真だと思います。








2012年9月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Tobey Maguire dans la peau de Bobby Fischer
 より引用

伝説のチェス世界チャンピオンの映画(フィンチャー監督) 



写真は他のサイトより引用しましたが、元チェス世界チャンピオン・フィッシャーをトビー・マグワイアが

演じています。



今から40年前の1972年、ボビー・フィッシャーの名前はチェスファンだけに留まらず、世界の多くの人の

記憶に刻まれました。世界チェンピオンであった旧ソ連のスパスキーと挑戦するアメリカのフィッシャー

ユダヤ人の母をもつ)、この24番勝負は米ソの東西冷戦の象徴として、世界中の注目を集めたのです。



このフィッシャーの伝記映画が来年公開されます。監督は「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥー

の女」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。映画の主人公フィッシャーを演じるのはスパイダーマン役

で知られるトビー・マグワイアです。



マグワイアがどんなフィッシャーを演じるのか今まで全く情報がなかったのですが、上の写真を見るとま

るでフィッシャーが乗り移ったのではないかと思うほど姿や雰囲気が似ています。



奇人と知られるフィッシャーは個人的に好きですが、相手のスパスキーも私は尊敬しています。1968年

のソ連がチェコスロバキアに侵攻したチェコ動乱(プラハの春)の直後に行われた国際トーナメントで、

ソ連のスパスキーは黒の腕章をつけチェコスロバキアの選手一人一人に握手しました。



それはソ連がチェコに対して行ったことへの抗議であり、一人の人間としての謝罪でした。



私自身、正直言いまして共産主義国家には抵抗があります。旧ソ連のスターリンなどによる粛清、中国

・毛沢東のチベット侵略や粛清。



何故、共産主義は人間をこうも憎悪の虜にしてしまうのか、その答えははっきり出ませんが、チェ・ゲバラ

が「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が出来る人間になりなさい。それこそ、

最も美しい革命家の資質なのだから。」と言うのに対し、旧ソ連・中国の共産主義は逆にあるものへの憎

しみに囚われていたと感じてなりません。



これは哲学者の梅原猛さんも指摘していることですが、憎悪は増幅して更に多くの憎悪を産むのかも知

れませんし、共産主義だけにあてはまるものでもありません。。



チェスとは関係ない話になってしまいましたが、映画ではアメリカ的な善玉悪玉の構図でスパスキーを

描いて欲しくないと願っています。



最後に、フィッシャーは2008年スパスキーとの世界選手権が行なわれたアイスランドで、チェス盤のマス

の数と同じ64歳の生涯を終えました。



(K.K)




追記(2012年11月30日)


監督はフィンチャー監督が降板し、「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィックになっています。





2012年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。




ロンドンで行われている国際トーナメントで、未来のチェス界を引っ張っていく日本にゆかりのある二人が

対戦しました。



世界5位のHikaru Nakamura(アメリカ)は、大阪生まれで日本人の父とアメリカ人の母をもち、世界24位

Anish Giri(ロシア)は、ネパール人の父とロシア人の母をもち、8歳のときから6年間日本に住んでいま

した。



5位と24位では一見差があるように見えますが、チェスでは僅かの差に多くの名人がひしめき合っていま

すので、順位に見られるような大きな実力の差はありません。



このロンドンでの大会でのHikaru Nakamuraは絶不調で、9試合終わった時点で12人中12位の最下位。

Anish Giriは7位に位置していました。



私は夜1時ごろ目が覚め、その後何故か寝つかれないので、この大会のライブ映像を見ながら二人の

試合を観戦していました。



Hikaru Nakamura(白)とAnish Giri(黒)の対戦で、上の画像は46手目の局面(GiriがBe5と指したところ)で

すが、この後に指された白の手に唖然としてしまいました。



「こんな手が成立するのか」と、それは世界中のチェス・ファンにとっても同じだったようで、その後数手

打たれてから初めて深遠な構想にを気づいたほどです。



この手は私のようなレベルがどんなに時間をかけても見つけ出せないでしょう。



人間には不思議な能力を持った方がいます。以前の職場では私の生年月日を言うと、直ぐにそれが

何曜日かを正確に答えることができた人がいましたし、世界にはカメラアイと言って風景や形、配列な

どを瞬時に記憶出来てしまう人もいます。



人間の脳にはまだまだ未知なる領域が沢山あるのでしょうね。



☆☆☆☆



Hikaru Nakamuraは、47手目をg5と指しました。ポーン、ルークのサクリファイス(犠牲)をしながら白の

キングをクィーン側に持っていき戦いに参加させる深い構想です。



☆☆☆☆







2013年4月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





昨日、電王戦という将棋のプロ棋士とコンピューターの対戦でコンピューターが圧勝(3勝1敗1分け)した。



人間の最後の砦、A級棋士も負けたのだが、振り返ればチェスは1997年に人間チャンピオンがマッチで負

ている。その当時の掲示板では、多くの将棋ファンが「だからチェスは将棋より劣った競技だ」と主張して

いたが、そこに未来の将棋の姿を予見したものは殆どいなかった。



これは何もチェス・将棋・囲碁などの盤上競技だけに当てはまるものではないと思う。



1986年のチェルノブイリ原発事故など世界中で多くの事故や事件が起きてきたが、それを対岸の火事とし

てしか捉えなかった人々。私も含めて多くの人がそのような態度を取ってきたのだが、何故それらのことを

我が事として捉えることが出来なかったのか。



当時の私自身の視点、感受性のどこに問題があったのか。



それを想うと私自身とても偉そうなことは言えない。



人間は過去からの知の遺産を継承して現在の文明を築いてきたが、過去の過ちから感じたことの継承が、

果たして現在の文明にどれほど備わっているのだろうか。



今回の人間とコンピューターの対戦、それを通していろいろなことを思い巡らせてしまう。




 




2014年12月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



(大きな画像)



(大きな画像)



(大きな画像)



20年前の写真です。



私の子どもと対戦しているのが大学教授だった関永さん。桜美林大学やフェリス女学院で英語を教えていた方です。



新聞配達をして家計を助けていた高校時代の経験、またキリスト教徒(内村鑑三の無教会主義)としても気さくな人柄で

尊敬に値する方でした。



私が主催する小さなチェスサークルにも、毎回のように息子さんと一緒に参加されていましたが、いつかそのような場を再び

創れればと思っています。



二枚目の写真は、ブラジルから日本に働きにきていた斉鹿セルジオさん、サークルだけでなく家にも何度か来てくれました。



三枚目の写真は、伝説のチェスチャンピオン故・「ボビー・フィッシャー」がアメリカの要請で日本で拘束されたとき、

フィッシャーと結婚しアイスランドへの出国の道を開いた渡井さんです。



現在ヨーロッパではフィッシャーの伝記映画が、トビー・マグワイア主演(スパイダーマン役などで有名)で上映されております。



チェスのプロになるのは絶対お勧めしませんが、子供が大人と真剣に対峙できるということ、それはチェスに限らず

盤上ゲームの素晴らしい特性なのかも知れません。



FB友人のYamadaさんのお子さんの写真、兄弟がチェス盤を前に戦っている姿を見て、昔を懐かしんで投稿してしまいました。








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