「アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ 伝承の知恵の記録」

青木愛子 述 長井博 記録 樹心社 より引用







青木愛子さん(1914年3月10日〜1995年10月24日)は、古代から継承されてきた

産婆術だけに留まらず、診察・治療のための特殊な手、そしてウエインカラ(何で

も見える千里眼)を通してシャーマン的な役割を担ってきた方である。愛子さんの

ウエインカラは、初対面の人と対座した時だけでなく、電話の相手でもその人の

過去と未来がわかる特殊な力を持っていた。それは相手の血液の赤血球や白血

球の流れがまるで顕微鏡を見ているように見えることも意味していた。



愛子さんの産婆術に関しては本書に詳しく書かれているが、驚くべきことは5代目

の愛子さんに継承されたこの秘伝は1756年(宝暦6年)フィリピンのパギオシティー、

イゴロット族の聖地アシュラムから始まっていることである。この初代の産婆さん

の名前は天静一(テンシンイチ)と言うが、その出身地など不明である。そしてこの

男性がアイヌに来て結婚し、産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしなが

ら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回したという。



この南の島からの秘伝と聞くと、ハワイ先住民の呪術師(カフナ)たちが行ってい

た秘術として知られている「ホ・オポノポノ」とアイヌには何か共通点があるのかも

知れない。ハワイ先住民のカフナは、エジプトのピラミッド文明時代、国内情勢が

悪化したため、最高の宝(呪術の秘法)を守るためエジプトを脱出し祖国(ポリネ

シア)に辿り着いた民だという説がある。



またこの説では、カフナ12部族のうち10部族がインド洋経由で各地に秘術を植え

付けたが、祖国帰還の途中で日本にも渡り、古神道の呪術の基礎を据えたとい

うのである。時代は異なると思うが、イスラエルの12部族のうち失われた10部族

を考えると、この数字はただの偶然なのか、それとも何か意味を持っているのだ

ろうか。



私自身1980年頃かつてマルコス政権下のフィリピンのスラム街など、同級生や

シスター達とフィリピンに行ったことがあるが、その旅行中にパギオにも立ち寄っ

たことがあり、パギオの近くだったか記憶があやふやだが、森に住む先住民の

方にも会ったことを思い出す。その時は経済開発の名の下に住む場所を奪わ

れていく先住民の現状を見ただけだった。



話は随分それてしまったが、青木愛子さんの後を受け継いだ長井博さん、そして

長井さんの次女へと途絶えることなく継承されていることに感慨深いものを感じて

ならない。

(K.K)


 
 


2012年1月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

アイヌの「お産ばあちゃん」

写真は、アイヌの青木愛子さん(1914年〜1995年)の左手です。青木さんは、古代から継承

されてきた産婆術だけに留まらず、診察・治療のための特殊な手、そしてウエインカラ(何で

も見える千里眼)を通してシャーマン的な役割を担ってきた方です。愛子さんのウエインカラ

は、初対面の人と対座した時だけでなく、電話の相手でもその人の過去と未来がわかる特

殊な力を持っていました。



同じく沖縄・奄美には現在でもシャーマンがいます。沖縄では「ユタ」(殆ど女性です)と呼ば

れていますが、例外なく全ての「ユタ」が出来るならユタにはなりたくなかった、と話されてい

ることは共通しています。それはユタが犠牲と奉仕に貫かれた生活を送ることを小さい頃か

ら見て知っていたからです。「ユタ」として神から召し出される人(自分の意思や世襲ではなく、

文字通り神のお告げを受け入れた人)にも、人には見えないものが見える千里眼を持つよ

うになります。



キリスト教ではアッシジの聖フランシスコが有名ですが、聖痕(イエス・キリストが磔刑となっ

た際についたとされる両手両足、脇腹の傷)を受けた人であり、千里眼を持つ人としても知

られたピオ神父(1887年〜1968年)がいます。ピオ神父は見ず知らずの人の過去や未来を

的確に言い当てただけでなく、二箇所同時に存在することや学んでいない外国語を話すこと

が出来、ヨハネ・パウロ二世から462番目の聖人に列聖されたのは死後34年経った2002年

のことでした。



このように宗教を問わず、千里眼の能力を授かった方は世界には沢山いることでしょう。私

もこんな能力があったらどんなにいいかなと内心思ったことはあります。一つの優越感みた

いなものをそこに感じたからでしょうね。でも冷静に考えると、この能力を持つことには大い

なる責任と義務も併せもたなければならないことを意味しているのではないかと思います。

そう考えると私にはとても耐えられそうにもないので「普通の人間で良かった」と感じますし、

一人一人違った形の「召し出し」があるのかも知れません。



一方、千里眼など不思議な能力、神からの授かりもの(そうでない場合もあります)としての

この能力を、自らの訓練によって自らの力によって勝ち取ろうと思う人も出てくるかも知れま

せん。多くの新興宗教の教祖がその部類に入るのではと思います。



この態度の本質を、ダライラマ14世も高く評価している、アレクサンドラ女史による「チベット

魔法の書」の中に紹介された一つの逸話が的確に言い当てているので紹介します。



「あるとき、釈迦が弟子たちを連れて旅をしていたとき、森の奥に佇む小屋の中に、一人の

疲れ果てた顔のヨギをみた。釈迦は立ち止まり、行をやって何年になるのかと尋ねた。『二

十五年になります』『そんなに長いこと苦行をして何を得たのか ? 』行者は得意気に答えた。

『水の上を歩いて川を歩いて渡れるようになりました』『哀れな人だ』と釈迦は同情の声をか

けた。『そのようなつまらないことに幾歳月も費やしてきたのか。小銭一枚出せば、船頭がす

ぐさま向こう岸まで運んでくれるだろうに』」



アイヌの青木愛子さん、沖縄・奄美のシャーマン、ピオ神父に共通していること。それは犠牲

と奉仕、そして「謙遜」ではないかと感じています。どんな超能力や奇跡(前にも申しましたよ

うに全て神からの授かりものとは限らないと思います)を行うことが出来ても、謙遜がないと

ころには、全てその意味を失ってしまうどころか、誤った道へと誘う主体者へと変貌していく

のではと思います。使徒パウロは別の表現でこう言っています。「たとい私が、人間と天使の

ことばを話しても、愛がなければ、鳴る青銅と響きわたるどらにひとしい。たとい私が、預言

の賜物をもち、全奥義と全知識に通じ、山を動かすほどの満ちた信仰を持っていても、愛が

なければ、無にひとしい。たとい私が、すべての財を施し、この体を焼かれるために与えても、

愛がなければ、益するところがない。」



うーん、こんな偉そうなことを書いても運転中にゆっくり前を走る車がいると、独り言で「わが、

なんばしょっとか、トロトロ走りやがって、いてもうたろうか」と九州弁と関西弁が喧嘩し合い

完全に自分を見失っている、いや本来の僕が出てきますしね。「はぁー、なんとか穏やかに

せんとといけんばってん、むずかしかでごわす」であります。まあ僕の日常が全てこんな調子

ですので、僕がどんなに美辞麗句を並べても、ほどほど聞き流すのが無難なところかと思い

ます。



アイヌのお産おばあちゃん、青木愛子さんの言葉を聞きとった方が本の中で次のように記し

ていますが、最後にこの言葉を紹介して終わりにしたいと思います。



「一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人

が多い。何も見えないほど暗い人もある。明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に

対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、

無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているか

どうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。」



皆様にとって、そして世界の人にとって、2012年が平和と調和の道を歩むことが出来ますよ

うに願っています。



(K.K)


「ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う」を参照されたし 





(大きな画像)


赤ちゃんは喜びながら生まれてくる



青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて

来た産婆術(イコインカル)、診察、治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(ク

スリ)、整体手法、あるいはシャーマンとしての技量(ウエインカラツス)をも駆使

(ウエポタラ)して、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍した。



本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見て、その言葉の一つ一つを丹念

に記録した、アイヌの信仰と文化の実態に迫る伝承の知恵の書。

(本書・帯文より引用)





目次


第一部 赤ちゃんは喜びながら生れてくる


T イコインカル(助産)1

愛子さんに触ってもらえばわかる

病院のやり方はでたらめだ

お産のカムイ(神さま)におこられる

イヨーハイ イヨーハイ!(驚いた びっくりこいた)

タラ(ちから縄)引っぱってみたけど

人間の体っておそろしい


U 療術

トイウシペ(ミミズ)とコロコニ(フキ) 風邪熱と麻疹のクスリ

十個のサラニップ(袋) カムイ(神さま)と置きグスリ


V イコインカル(助産)2

愛子の初産婆

産婆の道具

ケマコキルについて

妊婦の姿勢

炭焼きのお茶

トイトイ(土製)のポロニマ(大きな器)


W 療術(2)

キナライタ(キンミズヒキ) 腹痛みのクスリ

おっぱいにがんび 女の道のホルモン

人参の黒焼きとエフルペシキナ(コタニワタリ) 婦人病のクスリ

鹿と熊の心臓と鶏の血 内臓のクスリ


X イコインカル(助産)3

うちのだんなと話して来た

人間の魂はどこにあるかって信念で

眠り産にかかったら眠らせない

出血しても前置胎盤はめったにない

ふたいろ(二種類)の子宮

おっそろしい産婆さんの内診

子宮を縛ってほどくのを忘れた話

自分の手に負えない時は


Y 療術3

ヨモギの葉と川柳の皮 ウエペレケ(あかぎれ)と腫れ物のクスリ

柳の枝のお灸 神経痛・リュウマチに効く

兄から聞いた鍼(ハリ)の話

カイクマ(丸太ん棒) オテッテレケ(踏み踏み)


Z イコインカル(助産)4

産婆の座り方 肛門脱の予防といきみの補助

骨盤を開かせる足技 顎への指技・1

顎への指技・2 盆の窪みへの指技

頚椎・胸椎等への指技 逆子に対する技術

臍(へそ)の緒 蘇生術 娩出後の嬰児の診察


第二部 カムイ(神さま)から伝えられたもの


T ウエインカラクル(観自在者)としてのめざめ

青木愛子の人となり

☆愛子のウエインカラ(千里眼)

ウエインカラの始まり

相手の陰部まで見える?

距離と時間を超えて見える

顕微鏡のように見える

見えないはずのものが見える

概念が映像として見える

愛子にも見えない世界

☆カムイが降りて来て

ツス(降霊現象)

テケイヌ(診察の特殊な掌)

ウエポタラ(呪術)

ウエインカラ(千里眼)

イム(イム)


U 先祖をたずねて

祖母(フチ)の思い出

愛子までの歴代継承者について


V 海の向こうから

ツス(降霊現象)の実験 初代産婆の降霊

ツスの直後のイム

補足・歴代継承者について




本書より引用

顕微鏡のように見える



縮小して見ることができるかどうかの話は聞いていないが、顕微鏡のように拡大して見る

ことができる。



例えば白血球や赤血球の流れが見える。これによって病人の白血球の異常の有無を

ウエインカラして診ることができる。細菌を見ることもできる。小児麻痺や癌等の診断に

偉力を発揮する。医師と診断争いをして負けたことがない理由に一つがここにある。



生きている人間の骨の、白血球と赤血球の皮膜層が見える。例えばお産あつかいの愛

子の指技の一つは、生まれてくる嬰児の筋や筋肉がこの皮膜層に掛かる圧力のバラン

スを調整することにもある。骨格の狂い、その他の嬰児に対する指技治療は、このウエ

インカラによる診断によって為される側面に大きなウエイトがあるとも言えよう。



生きている婦人の卵子の様子が見える。また男性の精子の様子が見える。精子の中に

も受精可能なものと不能であるものがあることまで見えてしまう。これは不妊症の治療に

偉力を発揮する。



脳脊髄液の流れが手に取るように見える。これは精神病患者の治療に偉力を発揮する。

例えば精神神経科の医師や学者が、昔から上即ち脳にばかりこだわっていることを愛子

が馬鹿にしている理由の一つにもなっている。



胎内の胎児の様子が見える。これによって双子や先天性奇形、その奇形の位置等を見

るので、より完全に近い診断ができ、それにそなえることができるので一例の失敗もしな

いであつかえる。外科医にまかせた方がよいもの、自分ではあつかえないものも早期に

わかるので、そういう者は病院に送る。



見えないはずのものが見える



これは常識では見えないことの方が普通で、見えるのが異常に思われるものが見える

ということである。



例えば一緒に居る人達には見えないのだが愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。



死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四

十九日の間は、その友人の霊が愛子の処に遊びに来るのが見えて、対話する。愛子に

とっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。四十九日が来ると、既に

死亡している友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現れて歌をうたったりする様子が見

え、その声も聞こえる。これは四十九日で終る場合である。



この場合、愛子の親しい友人でなくとも、死者の霊を見ることがあり、四十九日を過ぎた

者の霊を見ることもある。これは完全にポクナモシリ(地獄)に堕ちている霊であると解

釈している。いわゆる自縛霊のことである。自縛霊は人間に限らず、犬や猫等の動物で

ある場合もある。



リクンカントン(天上の世界の) カムイモシリ(カムイの国)のカムイ(カムイ)が降りて来

て、愛子に助言するのが見え、聞こえる。この場合、主として愛子のイコインカルの先祖

とその夫と思われる者の場合が多い。また例えば、筆者宅にある聖観音菩薩像の魂と

しての霊が降りて来るのが見え、「そなたの視野は非常に狭くなっている。広い世界に

目を向けよ。そして心を開く努力をしなさい」というアドバイスの声まで聞こえる。



一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える

人が多い。何も見えないほど暗い人もある。暗い人の過去現在をウエインカラしてみる

と、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子が見え

る。明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽くしている様子が見える。

ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く

見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、

その光の量が見えてしまう。


 


補足・歴代継承者について 本書より引用


この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して

語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのまま

にした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭が

よりはっきりしてくるかと思う。


初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの

地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。この

初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である

ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている

天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス)

の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。


天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明の

ままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。

薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後に

アシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴ

ロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。


初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)の

シャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を

持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各

地のアイヌコタン(村)を巡回した。


初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代

は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、

おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して

他界した。この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな

かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には

血縁関係のないことを、念を押しておきたい。


この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。

初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであっ

た。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目する

カムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。

三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝え

られている。シャモであったようだ。四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが

継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリ

クン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。


五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理

すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族の

アシュラム(聖地)から運ばれていることになる。アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代

継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になっ

たようだ。真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを

行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。


二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目

まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの

調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。





2015年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




数年前に、ある人に出会った。彼女は看護師さんで入院している患者さんの死期が不思議なことに見えると話していた。



彼女の言葉を確信したのはあることだったのだが、このような千里眼とでもいう能力は世界の先住民やカトリック

ピオ神父などが有名)にも見られる。




アイヌでは故・青木愛子さんは知られているが、沖縄・奄美のユタは殆どが女性で、ある日突然にその兆候が現れる。



日本以外のシャーマンは男性が多く、修行を経てからのに比べると沖縄・奄美のユタは世界的にも珍しいのかも知れない。



詳しくは知らないが、日本の東北地方のイタコ(元々は先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業)や、

瞽女(ごぜ)もそうだった。



盲目の旅芸人「瞽女」、彼女たちを幸いもたらす聖なる来訪者・威力のある宗教者として昔の人々は迎え入れた。



キェルケゴールは、「真理の証人とは、その一生涯、内なる戦い、恐れ、おののき、誘惑、魂の苦悩、霊的苦痛を深く

味わい尽くした人のことである。真理の証人とは、殉教者のことである」と言った。



これに似た苦悩はイヌイット(カナダ北部の先住民)、ブラジルの先住民のシャーマン(パブロ・アマリンゴはNHKでも

特集された)、チベットのある賢者や他の宗教・芸術家にも見出すことが出来ると思う。



しかしそれとは異なる側面を持つ力もあると思う。



エクソシスト(悪魔を追い出して正常な状態に戻す賜物をもった神父)



悪魔や悪魔祓いというと、中世のキリスト教が行なった残酷な魔女裁判を思い浮かべ嫌悪するだろうし、悪魔など

過去の迷信と思っている人も多いだろう。



ただ皆さんも知っているアッシジの聖フランシスコや、前述したピオ神父は魔女裁判とは本質的に異なるもの(悪魔)

に苦しめられていた。



現代のバチカンではエクソシストになるには非常に高い徳性と経験が求められ、先ずその症状が精神性の疾患で

ないことを踏まえたうえで行なわれているが、ある特殊な賜物が与えられていない限り出来ないことだと思う。



ハワイ先住民南米大陸・アマゾン先住民のシャーマンの中には、そのような異なる側面の力を使う者がいることが

書かれているが、それは世界各地・日本でも見出せるのだろう。



ヒッグス粒子、これを神の粒子と呼ぶ人もいるが、それは物理学の次元での真理であり、神の領域とは異なるものだと思う。



宇宙創成から、現在にまで膨張を続ける宇宙、その力は完全に物理学の法則で説明(現代では不可能であっても)し得る

ものを未来の人類は見出すと思う。



ただ、それは力そのものでしかなく、その力とどのように接触するかの姿勢は別の話であると感じる。



真実の話か比喩かわからないが、ブッダは川の水面を歩く行者を見て、その修行に何の意味があるのかを問い

嘆いている。



聖書も「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰

があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリント人への第一の手紙)とある。



存在を慈しむことと、存在を否定することの境界。



そこには物理学の真理とは異なる次元と境界、ヴェイユの言葉を借りると「重力と恩寵」の恩寵(おんちょう、神の恵み・

慈しみ)が、私たちと神なる領域の唯一の接点であり跳躍であるのかも知れない。



私にはそれが肌を通して浸透はしていないし、冒頭の彼女のような賜物も有していない。



ただ難しいかも知れないが、方向性だけは見失いたくない。



写真は、惑星状星雲・NGC6543です。





APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 







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