南アルタイルのオイラート人シャーマン


南アルタイルのオイラート人シャーマン

「図説 シャーマニズムの世界」ミハーイ・ホッパール著 青土社の画像から


数多くのシャーマンに関する写真の中で、

特にこの写真は私の胸を打ち続けている。







シャーマン的意識状態において習得すべきこととして、われわれが地球上の動植物、

さらには無機物にまで依存していることを謙虚に認識し、すべての生命形態に深い敬意を

払うということがある。シャーマンは、人間がすべての生命形態とつながっており、ラコタ・

スー族が言うように「みんな親戚」であることを知っている。シャーマン的意識状態と日常

的意識状態の両方において、シャーマンは家族的な配慮と理解をもって他の生命形態に

接する。彼はその歴史、連関性、特別な力を認識する。したがってシャーマンは、大自然、

野生の動植物の本来的な力、無窮の惑星的存在を通じて生存、繁栄する彼らの強い力

に対する尊敬の念をもってシャーマン的意識状態に入る。変性意識の中で尊敬と愛をもっ

て接すれば大自然は日常的意識状態では確かめえぬものをただちに明らかにしてくれる、

と彼は信じている。・・・・「シャーマンへの道」 マイケル・ハーナー著 平河出版社より


ナバホの治療儀式では、患者が神々や村落共同体と和解するのはもちろんだが、

それだけでなく、この段階を追っての和解が宇宙起源説をはじめいろいろな神話の

再演によって実現するのがミソである。さらにナバホ族は豊富さにかけて並ぶものの

ない芸術、音楽、詩、舞踊など高度の文化的営為に恵まれた部族で、この治療にも

それらが不可欠の構成分となっている。それは、これだけは現代の精神療法に対応

物がまったくない一種の“美による治療”である。(河合隼雄訳)・・・・エレンベルガー







シャーマニズムの定義(ロジャー・ウォルシュ)


シャーマニズムとは、実践者が自らの意志で変性意識状態に入り、

その状態において、自らもしくは自らの霊魂が自在に異界を旅し、

別の存在と交流を交わすことで共同体に奉仕することに焦点を合わ

せた伝統の一系譜である。・・・・「シャーマニズムの精神人類学」より







アウア(イグルリック・エスキモー)の言葉



私は他人の力を借りてシャーマンになろうと努力したが、うまくいかなかった。

多くの有名なシャーマンを訪ね、すばらしい贈り物をしたのだが・・・・・・・・・・。

自ら孤独を求めておいてすぐにひどく落ちこんでしまった。時には涙が出てき

て、理由もなく不幸な気分になった。それから、なぜかすべてが急変し、言い

表しようのないほどの深い喜びを味わった。その喜びは抑えがたいほど強く、

ついには力強い歌となってほとばしった。ただ一つの言葉からなる歌。喜び、

喜び! 私は力の限り声をふりしぼって歌わざるを得なかった。そして、神秘

的で圧倒的な歓喜のさなか、私はシャーマンとなった。どのようにしてなった

かは知らない。だが私はシャーマンだった。目にするもの、聞くものがまった

く違っていた。私は自分のクアウマンエク、すなわち光明、もしくは心身に関

わるシャーマンの光を体得していた。それも、その光によって生の暗闇を見

通せただけではなく、同じ光が私の体から発していたのだ。それは人間の目

には見えなかったが、大地と空と海のすべての霊には明らかであり、彼らが

私のところにやってきて、私を助けてくれる霊となった。


「シャーマンへの道」マイケル・ハーナー著

吉福伸逸監修 高岡よし子訳 平河出版社 より







誰の力か?


われわれまじない師が、自分たちのことについてけっして言うべきではないと

されていることが二つある。一つは、自らを「メディスン・ピープル」とは呼ばな

いことだ。実際には、「メディスン・マン」とか「メディスン・ウーマン」と名乗りた

がる者も多いが、そもそも我々は薬(メディスン)を一から作るわけではない。

薬はすでにそこにあり、まじない師はそれを調合して成果をもたらすための

知識を持っているだけなのである。第二に、自分たちのことを「ヒーラー(癒し

手)」とは呼ばないこと、つまり、手を貸した患者がよくなっても、自分の手柄

にはしないということである。 ---- 我々はただ手伝うだけなのだ。癒し手は

ただ一人、我々を創りたもうた神だけである。神だけが、癒すことができるの

である。医学の学位を持つ医師も同じである。どんなに優秀であろうと、どん

なに豪華なオフィスを持っていようと、ただの「治療に携わる者」にすぎない。

癒すという観点から言えば、彼らは癒しているわけではなく、癒しが行われる

ように状況を整えているだけなのである。自覚しているかどうかはわからない

が、癒しを行うのに、ほかの力に頼っているのだ。一般的に「メディスン・パー

ソン」と呼ばれるのは、人のために神から助けと癒しを得られるように知識を

身につけた人である。その知識を活用するには、従わなければならない一定

のやり方がある。我々は、この手にゆだねられた聖なる義務を大切に守って

いかねばならない。聖なる知識の後見人 ---- それが我々の役目なのである。


ベア・ハート(ムスコギ・クリーク族長老 メディスン・マン)の言葉

「母なる風の教え」より







メディスンマンは常に一族の者たちのなかにあって、一族の者たちが感じるありと

あらゆるものを、いいことも悪いことも、上のほうも下のほうも、失意の底から喜び

の頂点までを、こころの神秘とリアリティとを、さらには勇気と恐れとを、そしてその

一切すべてを、自ら経験し、感じ取らなくてはならない。必要とあらば虫けらのよう

に地面に這いつくばってでも生きられるし、鷲のように空の高いところを悠々と

舞ってみせることもできる。それがメディスンマンというものだ

レイム・ディアー 「インディアン魂」より








「Black Elk Speaks」 University of Nebraska Press の画像から



ブラック・エルク(インディアン)の祈り



ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! 先祖よ、偉大な精霊よ、もう一度、

地上の私を見て、私の弱った声を身を乗りだして聞きたまえ。あなたは最初に住み、

そしてすべての願いよりも、またすべての祈りよりも古い。二本脚も四本脚も、空の翼

も、地に生えるすべての緑も、すべてあなたのものだ。あなたは四つの方角の力をた

がいに交わらせ、よい道も苦難の道をも交わらせたが、それが交わるところは神聖

だ。日が昇りまた落ちて、来る日も来る日も永遠にあなたは万物の生命だ。だから

偉大な精霊よ、私の先祖よ、私は、宇宙の星や大地の草花、あなたが造られたなに

ものをも忘れずに、あなたに祈るのだ。私がまだ若く望みをもつことができたとき、

あなたは私に、苦難の日に、大地の各々の方角に各一回ずつ四たび祈れ。そうすれ

ば、あなたは私のいうことを聞くだろう、と言った。今日、絶望の淵にある部族のため

に、私はあなたに祈る。あなたは私に聖なる煙管を、私がそれで、あなたに献げもの

をするようにと授けた。今それを、あなたは西からの命の水の茶碗と聖なる弓、生か

す力と破壊する力を私に授けた。あなたは私に、白い巨人の住むところから聖なる風

と薬草 --- 清める力と癒す力 --- を授けた。東からは暁の明星と煙管とを授けた。

そして、南からは民族の聖なる輪と花の咲く木とを授けた。あなたは世界の中心へ私

をつれて行き、唯一の母なる緑に染まる大地の善と美と力とを示し、そこでまた、万物

本来の姿である霊の姿を私に示し、私はそれを見た。あなたは、この聖なる輪の中心

で、私に木に花を咲かせるようにと言った。涙を流しながら、おお偉大な精霊よ、偉大

な精霊よ、私の先祖よ、涙を流しながら私は木に花を咲かせなかったと言わなければ

ならない。私はここに哀れな老人となって立っている。そして、私は衰えてしまった、

何もできなかった。ここは、私の若い日に、あなたが私をつれてきて私に教えた世界

の中心、ここにいま私は年老いて立っている。木は萎れている。先祖よ、私の先祖よ。

いま一度、そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが授けた偉大なビジョンを

思いおこしている。あるいは聖なる木のどれか小さな根がまだ生きているかもしれな

い。もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で満ちあふれるように

なるようにその根を養いたまえ。私のためではなく、私の民のために聞きたまえ。私

は年老いている。聞きたまえ、彼らがまた聖なる輪に立ち帰り、善なる赤い道と、盾と

なる木を見つけることができるように! おお、世界の六つの力よ。悲しみのなかで

わたしは弱々しい声で祈っている。悲しんでいる私の声を聞きたまえ。なぜなら、私は

もう二度と祈らないかも知れないから。おお、なにとぞ、私の部族を生きさせたまえ!


「終りなき夢と闘い あるインディアンの生涯」

J・G ナイハルト著 大島良行訳 合同出版 より







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