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1992年12月に書き、俳句雑誌「多羅葉」に掲載。
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凍える冬の天空にお前は腰掛け その胎内からは光を与えられた星々が生まれる 薄い赤味を帯びた雲は まるで鳩が平和という願いの翼をひろげ 飛翔しているかのよう 大地に夜の帳が落ち 明日のために羽根を休める時 アルビレオの星がその頭上に輝く 見るがいい この対比は一体どうしたことだろう 黄玉と青宝石の異なる輝きを擁く二つの星が 恋人のように寄り添う これらの星はどの地にも 余す所無く光の粒子を落とす それが戦争という極限の状況に置かれた 兵士の上にでも さあ僕と一緒においで 君をある過去に連れて行ってあげよう あの四辺形に見える星々を見てごらん あれはペガスス座といって翼を持った天馬のことなんだ そのα星までの距離 約八十光年 この星を見つめてごらん 僕たちの瞳に飛びこんでくる光の粒子は八十年前のもの それは欧州に多くの血が流された 第一次世界大戦の時なのだ 闇を突き刺す砲弾の音 恐れ逃げ惑う足音 街はもうすぐクリスマスを迎えようとしていた そして それは同じく 前線の兵士たちの上にも 彼らは夜になっても続く 激しい戦闘と厳しい寒さに疲れ切っていた 凍傷で足を切断することを恐れ 缶詰の空缶に炭を入れ靴に縛りつける 靴の底が焼けても構わず 唯、我武者羅に 数十メートル先の敵の塹壕目掛けて 手榴弾を投げ合っていた 兵士の一人が呟いた ああ 今頃みんな教会で讃美歌を歌っているだろうな といきなり 「天に栄光 地には平安」と クリスマスの聖歌を唄い出した その歌は広がり 塹壕中 大合唱になった それを聞いていたドイツ軍の塹壕が 何となくひっそりしたと思うと 途端に張りのある美しい何部合唱かで コーラスに加わってきた 君にも聞こえるだろう 降誕祭を祝う調べが あらゆる讃美歌が 敵、味方なく交互に歌い継がれてゆく 彼らの瞳は オリオンの整然と並んだ 七つの星に見入っただろう 兵士たちは手榴弾を持つことを忘れ その瞳はゆっくりと閉じてゆく まるで幾年か前に 家族と共に楽しく過ごしたクリスマスに 優るとも劣らない 平和な鳩を抱きしめたのだ さあこの地を離れよう 明日になれば 兵士たちは再び手榴弾を握るのだろう アルビレオよ 何故お前たちは そのように寄り添っていられるのだ 全く異なる二つの星が 私の目には一本の松明としか映らない 何故 人類は お前のように生きていけないのだ 思想が異なる為なのか 民族が異なる為なのか 宗教が異なる為なのか 何故このことの為 人は憎み合い争わねばならないのか アルビレオよ 教えてくれ 二つの異なる光が何故そのように共に輝いていられるのだ アルビレオよ 私を見ておくれ 私は弱く醜い姿を曝け出している 唯 私はこの体内に心の平和が宿ることを願いたい どのような理想国家が机上にて産み出されようとも どのような奇跡が人々の前に現れようとも 一人一人に 人を憎むことのない心の平和が体現しない限り 戦争という不幸は永久に生き続けることだろう 君の瞳に写し出されているアルビレオは三百五十年前の姿 この星から船出した二つの光芒は 三百五十年後 どのような地球・人類を見ることになるのだろうか 今 時は一九九二年・降誕祭
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2011年5月8日の日記から (K.K) 有隣堂という本屋に置いてあった安い望遠鏡を購入し、初めて土星の輪を見たときの感動は忘れられ ません。今ではその望遠鏡はなく、ただ対物レンズだけは思い出としてしまっています。その後、双眼鏡 による星空観望に移りましたが、天体を見るだけに留まらず、旅行や散歩の時などリュックにしまい第3 の眼として肉眼では見えない世界を映し出してくれます。春はかすみがかかりあまり天体を見るには いい条件ではないといいますが、それでも肉眼や双眼鏡で見る星空は飽きがきません。 ところで貴方の一番好きな天体は何か? と問われたら、私は迷わずアルビレオと答えるでしょう。もち ろん、人それぞれ想いが込められた天体は違うと思います。私の場合は望遠鏡で見たアルビレオでした。 白鳥座のくちばしに輝く3等星の星で、肉眼では1つの星にしか見えないのですが、オレンジとブルーとい う全く異なる色に輝く連星なんです。双眼鏡では口径7pに10倍の倍率をかけると2つの星に分離するこ とができますが、その対比の見事さに最初言葉を失っていました。アルビレオがある白鳥座は夏の星座 ですけれども、この時期でも夜半頃には姿を見せてくれます。10倍の双眼鏡や、低倍率の望遠鏡で見る といいと思いますが、望遠鏡に高倍率をかけると、逆にその寄り添う姿が失われてしまいます。 話は変わりますが、今から25年前に読んだ一冊の本があります。ハンセン病の療養所で長年、精神科 医として勤めた神谷美恵子さんの「生きがいについて」です。何故かこの本はずっと心に残っていて最近 再読しましたが、神谷さんの言葉のなかで一番響く言葉が「癩(らい)者へ」という詩の一節です。この 言葉の重みを、私自身の心の底まで降ろすことはできませんが、いつかそのような眼で見ることのできる 人間になれればと願っています。 独身の頃、マルクス政権下のフィリピンに行きハンセン病の施設を訪れたことがあります。もちろんこの 時はハンセン病に対して有効な薬が存在したと思いますが、それでも最初は私自身に病気が移ったら 怖いなという気持ちがありましたし、またこの施設にいる彼女たち(男性の方は別な棟にいたのかも知れ ません)も警戒していました。でもその棟に入ってしばらくすると彼女たちが何か悪戯っぽい眼で私に語り かけてきました。何を言っているのかわかりませんでしたが、いつの間にか女性たちに囲まれ私は彼女 たちの手を自然に握っていました。この病気にかかりながらも、子供みたいな無邪気さを眼に湛えてい る彼女たちを見て、私は単純に美しいなと感じました。アルビレオのように、隔離された厳しい現実と 無邪気な眼という異なる2つの対比が寄り添う姿。ただ、あれから私は彼女たちに対して何の恩返しも できていません。 人間に「慈しむ心」「美と感じる魂」「宗教心」はどのようにして生まれたのか、たぶん多くの説が存在す るかと思います。私はそれは星、宇宙からもたらされた面もあるのではと感じてなりません。現代のよ うに街明かりもなく、光害が全くない太古の人間の目には、月明かりのない夜、壮大な天空の星々・ 天の川が飛びこんできていたでしょう。動物も同じように目というレンズを通してそれを一つの形として 認識しますが、それらの形と自分自身を隔てる深遠な距離・空間を感じさせる力、その力を創造主は 人間に宿したのかもしれません。遥かなる天空の星々たち、それらの存在は人間に与えられたこの 恵みを気づかせ、「自分とは何者か」と常に問いかける存在なのかも知れません。 |
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書いています。「二つのクリスマス」という題でS.カンドウ神父が「世界のうらお もて」の中で自分自身の体験として回想されているもので下に引用します。
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わたしが今までに出会った最も殺伐なしかも平和なクリスマスの思い出話をしたのは、 最も寂しいしかも賑やかなクリスマスの晩のことであった。それは先の戦傷後、スイスの 病院で腰骨入れ換えの大手術を受けて間もないころであった。全身ギブスに生き埋めの 形で、教会のクリスマスを偲んでいるわたしをあわれんで、手術した6人の医師が病床 を囲んで晩餐会を催してくれたのであった。降誕祭の夜食と言えば、日本での元旦の 雑煮にように、家族そろって祝う楽しい行事である。それをこの医師たちは犠牲にして、 うそ寒い病室に集まってきた。レマン湖の鯉の上等料理を取り寄せ、シャンペンを抜き、 Aドクトルがわたしの首にナプキンをかければ、Bドクトルはフォークを口に運び、大きな 巣雛のように総がかりで食べさせる。それから夜の2時過ぎまで、且つ飲み且つ歌い、 果ては次々と変わったクリスマスの思い出を語り合った。そこでわたしも持ち出したの が次の話であった。
第一次世界大戦の塹壕の中で迎えた降誕祭のことである。我々は夜になっても続く烈し い戦闘と厳しい寒さに疲れきっていた。凍傷で足を切断するようになるのを恐れて、めい めいがサージンの空缶に炭火を入れ、靴に縛りつけていた。靴の底が焼けてジリジリいっ ても構わず、ただもうがむしゃらに、数十メートル先の敵の塹壕を目掛けて、ヘトヘトにな りながら手榴弾を投げ合っていた。そしてだれもが心ひそかに故郷のクリスマスのことを 思っていた。
そのうちとうとう一人が「ああ、今ごろはみんな教会で賛美歌を歌っているんだろうな」と つぶやくと、そばのが 「どうだ、我々も一つ歌おうじゃないか」といきなり、“天に栄光、 地には平安”を歌い出した。そにつられてあちこちから歌声が上がり、たちまち塹壕中は 大合唱になってしまった。と、向こうのドイツ軍の塹壕がなんとなくひっそりしたと思うと、 とたんに張りのある美しい何部合唱かで、我々のコーラスに加わってきた。こちらが気勢 を上げて声を高めると、向こうも歯切れのよいドイツ語でますます調子をつける。負けじ 劣らじと歌ううち、相手の合唱に代わる代わる耳を傾けるようになり、聞きながら次の歌 を用意して、あちらがすむと、さあこれはどうだ、とばかり歌い出す。そうして思い出す限 りの聖歌を、敵も味方もわれを忘れて、天にとどろけ地にも響けと、思うさま歌い抜いた。
やがてさすがに息が切れ歌合戦の歌の種も尽きたとき、どちらももう手榴弾のことなど すっかり忘れ、いい気持ちでそのまま朝までぐうぐう寝てしまった。実に何年ぶりかの 平和な眠りだった。相手の寝込みを襲おうなどという考えの夢にも浮かぶはずのない ことを双方とも確信していた。それこそ一家族伝来の祭りを共に喜び祝った兄弟のよ うに、同じ歌の余韻に包まれて、安らかに眠ったのであった。
S.カンドウ(Sauveur Candau) 1897年、南フランス・バスク地方に生まれる。第1次世界大戦に参戦し負傷。 療養地ブルターニュ地方の深い信仰に感動し、聖職者を志す。1925年、パリ 外国宣教会の司祭として来日。1929年、東京大神学校の初代校長に選ばれ、 日本人司祭の育成にあたる。終戦後は、日仏学院主席教授、あけの星社会 事業団の指導者をつとめる。日本語の著書に「思想の旅」、「永遠の傑作」、 「バスクの星」など多数がある。1955年9月28日死去。
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